原爆ドームはなぜ残った?中にいた人はどうなった?もともとの正式名称は?

原爆ドームの中にいた人

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広島市には、原子爆弾で破壊されてから今日まで、そのままの形で残されてきた「原爆ドーム」と呼ばれる建物があります。

平和を取り戻し、戦争をいましめるための建造物として、ユネスコの世界遺産に登録されました。

そんな原爆ドームですが、元々は何の建物だったんでしょうか?

くまきちくん
レンガ造りの建物が特徴的だよね。

爆心地周辺の建物はほとんどが焼失しているなか、外観が分かる形で建物が残っていることも興味深いですよね。

そこで今回は、原爆ドームについて見て行きたいと思います。

  • 原爆ドームはなぜ残ったのか?(残されたのか)
  • 原爆ドームの中にいた人はどうなったのか
  • 原爆ドームのもともとの正式名称

これらについてまとめました。

 

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広島県・原爆ドームはなぜ残った?なぜ倒壊しなかった?

1945年8月6日午前8時15分に、米軍の「エノラ・ゲイ」(B29爆撃機)が人類最初の原子爆弾を投下しました。

9,600メートルの高さから「リトル・ボーイ」と名付けられた原子爆弾が落とされたのです。

原爆は、広島県産業奨励館の南東約160メートル地点の上空約600mで爆発して、広島のまちを一瞬で破壊しました。

広島県作業奨励館の建物は大破、全焼しました。

近距離で爆発した原爆の威力は凄まじいものでしたが、爆風が上から垂直に働いたため、木材で作られた部分や耐力の弱い屋根がつぶれて、厚く作られた側面の壁は押しつぶされず、建物の壁の一部は倒壊を免れました。

そのため最上部に残った鉄骨により、円蓋(ドーム)をもつ建物だったことが分かる程度の残骸となりました。

くまきちくん
れんがの壁を溶かすほどの熱線はどれだけ熱かっただろうね…

戦後、広島県産業奨励館の残骸は、最上部の円蓋鉄骨の形から、市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。

 

原爆ドームについては、当初、記念物として残すという考え方と、危険建造物のため、被爆の悲惨な思い出につながるということで取り壊すという二つの考え方がありました。

しかし、市街地が復興し、被爆建物が姿を消していくなかで、保存を求める声は次第に高まりを見せて、1966年に広島市議会が原爆ドームの保存を決議しました。

これを踏まえて、保存工事のための募金活動が行われ、国の内外の平和を願う多くの人々の募金によって、1967年に第1回保存工事が行われました。

エキポシ樹脂で外壁を固めて、建物の内部には鉄骨の補強が入りました。

その後も、数回の保存工事が行われ、原爆ドームは被爆当時の姿を今に伝えています。

 

原爆ドームの中にいた人はどうなった?

原爆が投下された時は、広島県産業奨励館には内務省の職員がおよそ30名ほど勤務していました。

原爆の爆発によって建物は全焼して、館内にいた30人余りの人は全員即死したと伝えられていますが、広島原爆死没者追悼平和祈念館の資料によると、原爆投下後に館外に逃げたあとに亡くなった方もいることが分かりました。

 

ほかにも産業奨励会館で働いていますが、宿直明けで帰宅の途に就いていたため、自宅前で被爆した職員もいました。

県地方木材会社の職員の一人で、宿直明けに原爆投下直前の朝8時頃に自転車で帰宅。

自宅前で被爆して負傷しましたが、原爆当日に産業奨励会館で働く人の中で唯一の生存者となりました。

 

先日、原爆ドームで写真を撮ったら青い光が写りました。産業奨励会館で働いていた方でしょうか…。

👉原爆ドームの心霊写真の画像が怖い!心霊体験や体調不良になった話

 

原爆ドームのもともと(元々)の正式名称は?

原爆ドームのもとの建物は、1915年4月に広島県物産陳列館として開館しました。

チェコ人の建築家ヤン・レツルさんがデザインした、ヨーロッパ風のれんが造りの3階建て洋館で、特徴ある緑色のドームを目印にして市民に親しまれていました。

広島県産陳列館は、県物産の展示や即売、商工業に関する調査・相談などを業務としていましたが、美術展や博覧会、講習会の会場などの文化事業にも利用されました。

いわゆる広島で作られた物を紹介したり、商業の相談をする場所だったんですね。

日本で最初にバームクーヘンが紹介されるなど、広島の人たちに大変親しまれていたそうです。

 

その後は「広島県物産陳列館→広島県立商品陳列所」へと名称変更し、原爆投下当時には広島県産業奨励館として、業務の拡大が図られていきましたが、戦争の長期化・激化とともに業務が縮小されて、内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁などの事務所として使用されました。

爆心地に近くて、円形の屋根の形状から『原爆ドーム』と呼ばれるようになりました。

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