黒柳徹子さんの小学生時代の実話を基に描かれた『窓ぎわのトットちゃん』。
黒柳徹子さんの母校としてすっかり有名になったトモエ学園ですが、物語は電車の校舎が空襲で焼失し、トットちゃんが疎開するために列車に乗るところで終了しています。
トモエ学園の生徒たちは、その後どうなったんでしょうか?
そこで今回は、トットちゃんの同級生のその後についてまとめました。
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目次
トモエ学園の卒業生のその後はどうなった?
⋱公開まであと日⋰
トットちゃんの愉快な日常を通して見えてくる、
日々のささやかな幸せ
個性の豊かさ、恩師からの教え
家族・友人への深い愛情✨この冬、トットちゃんが
日本中に感動と愛情をお届けします´-映画「#窓ぎわのトットちゃん」
12.8(金)公開— 映画『窓ぎわのトットちゃん』公式アカウント (@tottochan_movie) December 4, 2023
トモエ学園の生徒のその後について調べたところ、会社の重役や世界的学者になったり、自営業で成功し日本中を飛び回っている方など…いろいろな方がおられました。
それぞれ分かる範囲で、その後についてご紹介させていただきます。
高橋くん(高橋彰さん)
小学校低学年の頃から低身長で早く走れないというハンディキャップがあった高橋くん。
トモエ学園には途中で転校してきました。
しかし、運動会の競技ではいつも1位を取り自信を付けた高橋くんは、ラグビーの強豪として有名な国学院久我山高校に進学し卒業しました。
その後は明治大学電気工学部に進んでいます。
大学卒業後は浜名湖のそばにある電気会社に就職し、調査役のポジションにまで昇進されました。
そして会社のICの大型機械の技術を後輩に指導するという役目も担っておられるそうです。
大出世されたのですね!
人の苦労が人一倍分かる高橋彰さんだからこそ、会社の従業員たちの和をはかること、みんなの苦労や悩みを聞いて問題を解決することに長けておられるのだろうと黒柳徹子さんは本で紹介されています。
黒柳徹子さんが大人になってから高橋さんに会いに行くと、トモエ学園時代の教育のおかげで「肉体的なハンディキャップによるコンプレックスは持っていない」と語っておられたそうです。
小林先生が高い飛び箱も「絶対できるからね!」と勇気づけてくれたり、学校には自分と同じような生徒がいたおかげで安心して通学できたそうです。
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ミヨちゃん(金子ミヨさん)
校長先生の三女・ミヨさんは、その後 国立音楽大学教育科に入学し卒業しました。
その後は国立音楽大学附属小学校で音楽の教師として活躍されました。
校長先生同様に「小さい子を教えたい」という思いを胸に、生徒の教育に励まれたそうです。
トモエ学園が焼失後に、小林先生は国立音楽大学の小学校の立ち上げに関わりました。
そうしたご縁によって将来の道が開けたのかもしれませんね。
サッコちゃん(旧姓:松山朔子→新姓:斉藤朔子)
うさぎの絵のジャンパースカートを履いていたサッコちゃん。
物語では、お散歩の途中でトットちゃんと一緒に井戸を見に行ってた子です。
その後は、当時の難関校とされた都立第六高女(現在の三田高校)に見事入学しました。
東京女子大学英文科に入学・卒業したあとは、お茶の水のYMCAの英語講師として小学生に英語を教えました。
夏のキャンプなどの行事では、トモエ学園の経験を活かして大活躍されたそうです。
山登りで出逢った男性と結婚し、現在は大学3年生の息子がいる母親となりました。(1984年時点の情報)
泰ちゃん(山内泰二さん)
トモエ学園時代に黒柳徹子さんが密かに思いを寄せていた相手が泰ちゃんです。
化学の実験が好きで、英語も話せたりと賢くて頼りがいのある男の子でした。
黒柳徹子さんとの相撲に負けて、「僕のお嫁さんにしてあげないから」と言った泰ちゃんはどうなったんでしょうか?
現在の泰ちゃんはアメリカに住んでおり、日本を代表する物理学者となりました。
泰ちゃんは東京教育大学(現在の筑波大学)理学部物理学科を卒業し、同大学院で修士号を取得してから、フルブライト交換学生としてアメリカへ渡米し、5年後にローチェスター大学で博士号を取りました。
そのまま大学に残って高エネルギー実験物理の研究を続け、世界最大と称されるアメリカのイリノイ州にあるフェルミ国立加速研究所にて、副所長と物理部長をされました。
なんとこの研究所は、アメリカ中の大学から頭脳明晰な研究者が集まって作られた巨大研究所だそうです。
それほど優秀な人達のなかで副所長に上り詰めたことに驚きが隠せませんね…!
泰ちゃんはコロンビア大学の教授とともに「ウプシロン中間子」という物質を発見して、ノーベル賞にノミネートされるのではないかと騒がれたそうです。
トモエ学園の頃はアルコールランプを点けてフラスコをブクブクしたり、科学や物理の本を読んでいた泰ちゃんでしたが、トモエ流の「登校後は好きな教科から勉強していい」という学習法でさらに才能を伸ばしたのではないかと黒柳徹子さんは考えておられるようです。
大栄くん(大栄国雄さん)
トットちゃんの話のなかでは、園芸家のお坊ちゃまとして描かれていたのが大栄くんでした。
黒柳徹子さんの三つ編みヘアを引っ張って小林先生に叱られた子です。
その後の大栄くんは、疎開先の大分県にて大分中学校に少し通ってから、現在は日本有数の東洋蘭の目利きとなったそうです。
東洋蘭には一株数千万円もするものがあるため、目利きをする人が必要です。
そこで販売や培養のスキルを習得し、日本中を飛行機や汽車で飛び回るほど忙しく過ごされています。
自分で花について研究して開拓し、本当に好きな仕事をしているから自信を持っておられるんですね。
自分が好きなことに取り組む姿勢は、トモエ学園の自由教育によって才能を伸ばしたと考えられそうです。
天寺くん(天寺和男さん)
放課後に拾ったネコの体を興味深そうに観察していた天寺くん。
動物好きの天寺くんの小さい頃の夢は、「獣医になって牧場を持つこと」でした。
トモエ学園の茶話会では「ケガした猫や犬がいたら僕のところに連れて来てね。治してあげるから。」と話してましたよね。
そんな天寺くんは、日大の獣医畜産専門学校に在学中に父親が亡くなったことで獣医の夢はあきらめて方向転換をはかり、慶應病院に勤めました。
現在は自衛隊の中央病院で臨床検査という仕事に尽力されているそうです。
泰明ちゃん(山本泰明さん)
小児麻痺を患っていた泰明ちゃん。
トモエ学園が春休みに入る前、トットちゃんに本を貸してくれたのを最後にこの世を旅立ちました。
あまりに早すぎるお別れとなり、トモエ学園のみんなが悲しみに暮れました。
やすあきちゃんが亡くなった原因はこちらで書いています。
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税所さん(新姓:田中愛子さん)
トモエ学園の学芸会でトットちゃんの学年は『勧進帳』を演じることになり、背が高くて体の大きい税所愛子さんは弁慶役に抜擢されていましたね。
日露戦争として有名な東郷元帥が大叔父にあたる税所さんは、青山学院小学部から途中でトモエ学園に転校してきました。
当時は”おっとりしたお嬢さん”の印象が強かったですが、すでに満州事変で父親が戦死して亡くておられたそうです。
鎌倉高等女学校(現在の鎌倉女学院中学校・高等学校)を卒業後は、建築家の男性と結婚。
その後は長男は建設会社に勤務し、次男も就職が決まって安心したところだと紹介されていました。(1984年時点の情報)
子どもが手を離れてからは歌を作る生活を送っておられるようで、歌人の税所敦子さんの血筋を引いておられるようです。
右田昭一くん
右田くんと言えば、”葬式まんじゅう”のエピソードを思い出す人もいるはず。
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戦争に出征することが決まった、トモエ学園の小使いの良ちゃんを激励するために茶話会(送別会)がおこなわれました。
以前、田舎で食べて美味しかった葬式まんじゅうの味が忘れられなかった右田くんは、
生徒が1人ずつ、良ちゃんに感謝の気持ちを伝えていく場面で「田舎から葬式まんじゅうを持ってきて、みんなにあげます。」と言って、大人達を凍り付かせた話がありました。
また九品仏の肝試しでは、新聞紙で作った被り物をしてトットちゃんと一緒にオバケ役をやっていました。
そんな右田さんは都立園芸高校を卒業したあとに、子どもの頃から好きだった絵の勉強をするために武蔵野美術大学デザイン科に入学し卒業しました。
その後は友人とグラフィックデザインの会社を立ち上げて活動されたそうです。
青木恵子ちゃん(新姓:桑原恵子さん)
物静かな性格だった青木恵子さんは、慶應義塾幼稚舎の教師と結婚しました。
銀婚式を迎え、娘さんはすでに結婚されているそうです。(1984年時点の情報)
渡辺義治くん
渡辺義治くんは、神奈川大学を卒業後にサラリーマンになりました。
坂本敏子ちゃん(新姓:菅敏子さん)
坂本敏子さんは、黒柳徹子さんも後に進学した香蘭女学校に入学し、卒業。
ビューティーサロンで美容師として活躍されました。
上記の情報は1984年に出版された『窓ぎわのトットちゃん』を参考にして書きました。
本が出版されてから2023年現在で39年ほど経ち、黒柳徹子さんは90歳になりました。
もしかするとご存命でない同級生の方もいらっしゃるかもしれませんので、ご承知おきください。
トモエ学園出身者は各界隈で活躍されている方が多くおられることが分かりましたね。
ほかにもトモエ学園出身の有名人として、女優の池内淳子さん、津島恵子さんがおられます。