映画の視聴を終えてからお読みください。
映画『君たちはどう生きるか』は、主人公の牧眞人が戦争中の疎開先で起きた出来事をきっかけに、自分の生き方を見つめ直す作品です。
冒頭では、空襲によって母の入院先の病院が火災に遭うシーンから始まり、急な展開に胸が締め付けられそうになりましたが…。
映画を観ていて気になったのが、母の久子は何の病気で入院していたんでしょうか?
そこで今回は、牧眞人の母親・久子の病名やモデルとなった病院について調べました。
目次
映画【君たちはどう生きるか】母親・久子の入院先の病院が火災で焼失
- 主人公:牧 眞人(少年)
- 父親:牧 正一
- 母親:牧 久子
映画『君たちはどう生きるか』の冒頭は、空襲警報のサイレンが鳴るシーンから始まります。
夜に主人公・牧眞人と父の正一が自宅で寝ていると、空襲警報が鳴り響き、住民たちは混乱に陥りました。
お手伝いさんに声を掛けられ目を覚ました父子が外を見ると、母・久子の入院する病院が空襲の被害に遭い、火事になっていたのです。
急いで病院へ駆けつけようとする父に付いて行こうと眞人はゲタを履きますが、「家にいなさい」と制止されるのです。
しかし、心配の気持ちは抑えられず「おかあさん…」とつぶやきながら、眞人はごうごうと燃え盛る街中を走ります。
戦争3年目に、空襲により病院が燃えたことが原因でお母さんは亡くなったのです…。
いきなり緊迫した場面から始まり、心が苦しくなりました。
牧眞人の母親・久子の病気(病名)は肺結核?
ジブリ映画で、母親が病院で入院してる描写は『となりのトトロ』でもありましたよね。
トトロは1955年(昭和30年前半)頃の時代設定でしたが、
映画『君たちはどう生きる』はもう少し前の、第二次世界大戦中の1943年頃(昭和18年)の話です。
当時日本で流行っていた病気はどのようなものがあったんでしょうか?
戦時中ということで、感染症の流行によって隔離治療を受けるケースが後を絶たなかったそうです。
1940年代に日本で流行った感染症を見てみると、以下のような病がありました。
- 発しんチフス
- ハンセン病
- 肺結核
発しんチフスはシラミによって媒介され、発熱後に全身に発疹が出る急性感染症。ハンセン病は皮膚や神経をおかす慢性の感染症です。
この中でも、入院するイメージの強い病気は肺結核ではないでしょうか。
肺結核は1882年に結核菌が見つかり、1944年に治療薬が発見されるまで有効な治療法のない「不治の病」として恐れられていました。
外見から判断しやすい負傷とは違って、周囲からの理解も得られにくく治療に苦労する患者が多くいました。
ジブリでは『風立ちぬ』にて、主人公の堀越二郎の妻・菜穂子が結核に侵され、残された時間を共に過ごす場面が印象的でしたよね。
NO.415#風立ちぬ
飛行機の設計に取り組む堀越二郎と
結核の少女と出会い愛を誓った堀辰雄。悲惨な戦時中に懸命に生きた二人の人生を纏め、運命に翻弄された生き様を描く。
“風が吹いた。生きなければならない”
抽象的だがこれ以上ないタイトルの意。
夢と戦争にまみれた珠玉の人間模様の物語。 pic.twitter.com/wpdrjjrRe1— ジャック (@tW9cN0ud4rvmQJI) February 28, 2023
話は戻り…
映画『君たちはどう生きるか』の劇中で眞人が洋館に閉じ込められたときに、亡くなったはずの母・久子が蝋人形(飴細工?)として本物に再現された姿で出てくるのですが、その時はツルツルの肌で皮膚病ではなさそうに見えました。
すると、当時の時代背景からすると肺結核のような病気だったのかもしれないと思いました。
さらに1940年代の死因ランキングを見てみると…
- 1位…全結核
- 2位…肺炎及び気管支炎
- 3位…脳血管疾患
- 4位…胃腸炎
- 5位…老衰
死因の1位と2位に肺疾患がランクインしており、結核が当時の国民病だったことが分かります。
時代背景から考えると、母・久子の病名は肺結核だった可能性が考えられそうです。
とは言え、劇中では母・久子の闘病シーンが出てこないため憶測に過ぎませんが…。
もちろん流行り病に罹患していたとは限らず、脳血管・心疾患や胃腸系の病気だったかもしれません。
宮崎駿監督が作中における病気のエピソードを語るかは分かりませんが、今後の発言にも注目したいと思います。
宮崎駿監督の母親は結核を患っていた
宮崎駿監督の作品では、映画の中で病気の女性が登場します。
『となりのトトロ』ではサツキとメイの母親が入院していたり、『風立ちぬ』ではヒロインの菜穂子が結核を患い、隔離病棟で療養するシーンが出てきました。
これは宮崎駿監督が幼少期に母親が結核を患って自宅にいなかった思い出を作品に反映しているのではないかと言われてます。
映画『君たちはどう生きる』は、ジブリの過去作品の要素が詰め込まれた作品だとも言われてます。
主人公が母親や妻の病気(もしくは死去)をきっかけに、自分の生き方を考える作品とも言えるのではないでしょうか。
母・久子の入院先の病院はどこがモデルになってる?
牧眞人の母・久子は病院に入院していました。
父・正一が外が空襲で燃えてるのを見て、「母さんの病院が火事だ」とつぶやいてました。
自宅から見て病院が火事だと分かるということは、入院先の病院はわりと近所だったのかなと思いました。
というナレーションにあるように、眞人の実家は東京だと分かりますね。
父・正一は軍需工場を経営する社長でした。
当時の東京の軍需工場があった地域を調べてみると、航空計器の製造がおこなわれた吉祥寺の『横河電機製作所』、武蔵野町、三鷹、多摩には航空エンジン工場の『中島飛行機』など、多くの工場があったことが分かりました。
さらに多摩地域の当時の軍需工場を示す地図を見つけました。
多摩地域に多く工場が点在しているのが分かりますが、その多くは1944~1945年にいたる空襲で壊滅したそうです。
もしかしたら、この近辺の地域が牧眞人の実家のモデルとなっているのかもしれません。
まとめ
- 牧眞人の母・久子の病気は、時代背景から「肺結核」の可能性がある
- 久子の病院は、軍需工場が多く佇む多摩地域の病院がモデルになっているかもしれない