KEIKOの未発表曲の歌唱動画はどれ?歌詞や現在の病状についても

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こんにちは。あこぽんです。

2018年1月19日に小室哲哉さんが
不倫疑惑問題の釈明と引退発表の会見を
行いました。

 

不倫問題の会見で”引退”の言葉が飛び出し、
ただただ驚いてしまいました。

なんと小室さんのお話によると、
もうすでに2017年には引退しようか
考え始めていたそうなのです。

そのことと、不倫疑惑を報じられた
ことに対するけじめを付けるために
引退を決意したということですね。

 

これから小室哲哉さんの新曲が
聴けなくなると思うと、なんだかさみしいですね。

 

さて、そんな会見中に
小室哲哉さんの口から
気になる言葉が飛び出しました。

それは、病後に収録したKEIKOさんが
歌った未発表曲が存在する
ということ。

 

KEIKOさんが歌った曲は
どんな歌だったのでしょうか?

そこで今日は

・KEIKOさんの現在の病状
・小室哲哉さんの病状と不倫疑惑の真相について
・未発表曲のKEIKOさん歌唱動画
・未発表曲の歌詞

これらのことを見て行くことにしました。

それでは見て行きましょう。

 

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KEIKOさん病気療養中の様子について

 

1990年代の音楽シーンを引っ張ってきた
小室ファミリーのメンバー。

安室奈美恵さん、TRF、
globe、篠原涼子さんなど‥

たくさんのアーティストが活躍されていました。

そんな小室哲哉さんは最盛期の
年収は20億円とも言われていましたね。

 

しかしそのブームが去り、

事業の失敗や散財によって作ってしまった
借金の返済に苦しんだ小室さんは、
自身の楽曲の著作権売却を思いつき、

ある投資家の男性に全著作権を10億円で販売しました。

しかし、楽曲の著作権はレコード会社にもあり、
この契約は無効に。

解決金を支払うはずでしたが、
期日までに支払われなかったため、
投資家男性が刑事告訴して
執行猶予5年の判決を受けていました。

 

その矢先のことです。

2011年10月にKEIKOさんが
突然のくも膜下出血に襲われ、
療養を余儀なくされました。

時期もじきだったので、

当時の小室さんは
事件とKEIKOさんの病気とに
因果関係があるのでは?
とかなり悩んだそうです。

 

それから実家のサポートも受けながら
小室さんは仕事を続けてきました。

幸い、KEIKOさんはくも膜下出血による
身体的な後遺症はありませんでしたが、

脳に障害が起きてしまい、
物事に対して欲が無くなってしまったと言います。

女性というより、
かわいい女の子のような
雰囲気を持つ人になってしまいました。

歌手であるKEIKOさんは、
小室さんのなかでとても大きな存在だったそうです。

しかし、脳の部分のどの部分かが
病魔に侵されてしまい、
音楽に興味が無くなってしまったと言います。

 

小室哲哉さんはKEIKOさんに
なんとか歌っていたときのことを
思い出して欲しくて

KEIKOさんを
カラオケ連れて行ったり、
CDを流して見たり、
スタジオへ連れて行ったり‥

たくさん努力しましたが、

その甲斐もむなしく
音楽への興味は日にひに薄れて行きました。

 

2018年で、KEIKOさんは
療養して7年目になりますが、

まだ療養初期の頃に
レコーディングスタジオに連れて行って、

そのときのKEIKOさんに対しての
思いをしたためた

未発表の曲を歌ってもらいましたが、
それ以降は「もういいよね」と
歌うことはなくなったと言います。

 

そんなKEIKOさんは
すべてがそのレベルではないものの、
今は小学4年生の漢字ドリルを
楽しそうに取り組んでいるそうですね。

 

小室哲哉さんが繰り返し語っていたのは
KEIKOさんが『とにかく欲が無くなってしまった』
ということ。

今のKEIKOさんは、
大人対大人のコミュニケーションが
できなくなっていて、

電話で会話しても、
だんだん1時間10分5分3分‥と
間が持たなくなっていったとのこと。

しかし、諦めてはいけないと
精神的にもKEIKOさんをサポートし続けて今に至ります。

ここ3年くらいは、
繰り返しの質問で疲れてしまうこともあったそうです。

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小室哲哉さんの近況や病状について

 

小室哲哉さんがC型肝炎に罹患していることが
分かったのが2年前。

自宅で2人でいると、
病気がちになってしまい、闘病に明け暮れる日々。

当たり前ですが、KEIKOさんは
一般的な健康体の奥さまではないので、

小室さんの闘病に関して
看病だったり、お見舞いの言葉をかけて
もらったりは難しかったそうです。

そのため、小室さんは1人で半年間ほど
C型肝炎の治療と闘病生活をして
今に至っているのだと言います。

 

そのときにもっと芸能活動を
縮小するべきだったのに、
みんなからの期待に応えるべく音楽活動を頑張ってしまったと語ります。

その間にKEIKOさんが何を考えていたかは、
健康な脳の状態ではないので、想像にいたりませんでした。

 

小室哲哉さんは2016年に
C型肝炎が治り、完全に仕事復帰を果たしました。

しかしそれからも骨折をしたり‥と
色々あったので、2017年の夏前に
実家にお世話になっていたんですって。

 

その後、小室さんは急に突発性難聴を患い、
左耳が聞こえなくなりました。

耳元でキーンという音が鳴り続け、
診察してもらうと、その難聴と耳鳴りの原因は

ストレスであろうと告げられたのだそう。

その件で8月に一人で入院し
療養にあたっていたと言います。

 

パン子さん
なんとも波乱万丈な人生ね‥。
くまきちくん
会見でも始終、体調が悪そうだったしね‥。

 

そのことから、

KEIKOさんを含む
複数の医師や看護師の方から
協力を得ることも増えて、
退院しても不規則な生活が続いていました。

 

通院のみでは治療が足りなかったので、
都内に往診に来てもらえる場所を利用して
そこでなんとかしようとしていました。

体調は順調に戻ってきましたが、
時に熱っぽくなったりと、完治には至りません。

 

そんなとき看護師のA子さんは

早朝やお昼休み、イベント終了後、深夜‥など
滞在先ホテルにまで来てもらったりすることが
可能だったため、

しょっちゅう往診してもらい、
その場で治療を施してもらうこともあったとのこと。

もちろんKEIKOさんが自宅にいるときも
往診に来てもらったことがありますが、
KEIKOさんはそのことは記憶にないそうです。

 

小室さんとしては、
突然の往診依頼も聞いてもらえれて、
いつでも自分の心の支えになってくれる
A子さんにメンタルケアもしてもらっていた
という感覚でした。

小室哲哉さんは、

日常で女性と雑談や会話などすることが
ほぼない状態が続ていていたので、
A子さんにきてもらえるときが癒しのひとときだったんですね。

 

パン子さん
普通の病院では、そこまではやってもらえないもんね‥。

 

どこか心のよりどころだった
部分もあるのかもしれませんね?

しかし、2人で一緒の部屋で寝たり
誤解を与える行動をとったのは事実で、

普段の往診のときは
密室であることも多かったので、
特に小室さんは意識していなかったそうですが、
たしかに誤解を受けても仕方がない行動でしたね‥。

 

しかし、小室哲哉さん曰く

『男性の女性を誘いたいという欲求とはかけ離れている』

という気持ちでいたそうで、
深い男女関係だったわけでは無いそうです。

 

パン子さん
でも、小室哲哉さんの肩を持つわけではないけど、やっぱり誰かに”自分の話を聞いて欲しい、理解して欲しい”っていう気持ちって誰にでもあるよね。
くまきちくん
KEIKOさんのことを支え続けていくためにも、小室さん自身の心の支えも必要だよね。
パン子さん
医療面でも精神面でも知識のあるA子さんが、呼んだらいつでも来てくれて、小室さんの心のよりどころだったのがよく伝わってくるね‥。

 

そして今回、引退を決意するに至ったのは、

本人自身、2017年8月頃から
考えていたことで、

耳鳴りが治らず、音楽制作の締め切りが
滞っていた
ことが引退を考える
きっかけだったとお話されています。

 

ファンの期待に応えたかったが、
これでいいのか?と、
2017年秋には常に自問自答していたそう。

10年20年前では、

考えられないことですが、
音楽を作ってもやり直すという日々になっていたそうです。

 

世間一般では60~65歳は定年する年齢。

2018年で小室さんは
還暦を迎えることで、

60歳は一つの大きな節目なのかな?と
創作面の部分で考えていたそうです。

期待に応える音楽制作できるレベルなのか?
それもはっきり分からず、
ただひたすらやり直しの日々。

どうにかやっと音楽が出来上がって次の仕事。
という日々だったとのこと。

ピアノをひいても30秒も聞くのがもたないという状態。

そんな辛さから逃れるために、

A子さんに依存してしまったのですね。

文春報道はそんな自分への戒めだったのか。

 

有罪判決で裁判所で叱咤激励を受けたときと、

文春の取材を受けた時とで、
同じような気持ちになってしまったと語る小室哲哉さん。

 

それから、ひたすら引退の文字が頭に浮かんで
みんなに「お疲れ様!」と言ってもらい、

スポットライトを浴びて「今までありがとうございました。」
という現役引退するスポーツ選手のような日を

夢みることもあったそうです。

 

『しかし、今回の報道は
自分の甘さから生じた結果のため、
そういう夢を見る環境ではなく、

今回の報道による罪を償うとともに
自身の身体的な限界もあり、

自分の才能が今の音楽業界に必要なのか?
新しい音楽を作ることができるのかな?と考えると
もう限界を感じてしまう。

今後、最低限の仕事はするものの
自発的に音楽活動をするのは
2018年1月19日をもって
退くことにしました。

KEIKOにも経緯を話したが、
これからどうしていくかしっかり考えたいです。

ご迷惑をかけた償いとして
音楽生活の引退発表とさせていただきます。』

以上が会見の内容でした。

 

妻KEIKOさんとの離婚の文字が頭をよぎっている方も
いるかもしれませんが、

小室哲哉さんは

子どものような状態のKEIKOさんに愛情が深まっている

と語っておられ、

これから添い遂げることを決意表明されていました。

 

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療養中に収録した未発表曲の動画はどれ?歌詞も

 

小室さんは引退会見にて、
KEIKOさんについてこんな発言をされていました。

KEIKOさんがくも膜下出血の
闘病後間もなくに歌をうたってもらったのだと。

 

「彼女は音楽には日にひに興味を示さなくなってしまいました。
カラオケに連れて行ったり、CDを聞かせたり、
スタジオに連れて行ったり‥
色々な努力をしたが残念ながら
音楽への興味は日にひに薄れていきました。

今年で7年目になりますが、
初期の頃にレコーディングスタジオに連れて行って、
そのときのKEIKOに対しての思いをしたためた
未発表の曲を歌ってもらったが、それ以降は「もういいよね」と
いうことで、もう歌うことはなくなりました。」

 

小室さんの話を聞いて衝撃的でした。

KEIKOさんは、
くも膜下出血の大きな後遺症は無かったものの
脳の障害により、音楽には興味が無くなってしまったということ‥。

 

”一命を取りとめて、
療養とリハビリによって
日常生活が送れるようにまで回復できた。

命があって本当に良かった。”

と思いましたが、

2人をつなげた
音楽を忘れてしまった
KEIKOさん‥。

 

小室さんは、言葉では言い表せられないくらい
悲しかったと思います。

レコーディングスタジオで
なんとかKEIKOさんに歌ってもらった曲とは
どれだったのでしょうか?

 

調べてみると、おそらくですが、
これでは?と思われる曲が見つかりました。

 

夕凪ひさしく 感じて歩くと
脇に抱えている 板もさみしい
そうでしょうねもう
こんな私でいいのかな?
たくさん相談しているよ
色々分からない
だけど一言ひとことを
大切にしていくよ

 

この音源がKEIKOさん病後初の歌声なのだそうです。
もちろん公式には発表していない曲ですね。

療養中とは思えないくらいの
以前と変わらないハイトーンで透き通った声。

聴いているとうっとり聴き入ってしまうようでした。

まだ全盛期だった頃の
globeの姿が目に浮かびますね。

 

歌詞はKEIKOさん目線のものになっていますが、

あえて単純な言葉を選んだ
小室さんの気持ちを考えると、

その思いは言葉では言い表せられないくらい
深いものを感じます。

当時は療養中だったので、
今後どうなるかなどは
まだ分からなかったと思いますが、

どんな思いでKEIKOさんのことを
支えていたのかな‥。

 

自分の家族が同じような状態になったら
私は強いメンタルを保てるのかな?と
自問自答してしまいました。

 

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まとめ

 

今回の会見を見ていて

小室哲哉さんはものすごく
具合が悪そうに見えました。

完全に体も心も疲れ切っているように見えます。

 

今回は不倫疑惑のケジメを付けるために引退するという
形を取りましたが、
今後さらに落ち込んでいかないか心配ですね‥。

小室哲哉さんもKEIKOさんも
身体をお大事になさって欲しいと思います。

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