こんにちは。あこぽんです。
5大陸最高峰登頂や、
北極圏12000キロを犬ぞりで走破したり‥と
数々の偉業を成し遂げた
世界的冒険家の植村直己さん。
世界の氷河を見たいがために、
所持金わずか4万円だけを持って旅に出たり!
よく考えると破天荒そのものですけど、
その生き方はなんとも興味深いものです!
今回はそんな植村直己さんに
ついてくわしく見て行こうと思います。
・植村直己さんのプロフィールと経歴
・奥さんや子供など家族について
これらについてまとめています。
それでは見て行きましょう!
植村直己さんのプロフィールや経歴
私は意志が弱い。その弱さを克服するには、自分を引き下がれない状況に追い込むことだ。#植村直己(冒険家)pic.twitter.com/pa83qMCweu
— 働き方のステージを上げる (@syokuikugachi) 2018年5月3日
名前:植村 直己(うえむら なおみ)
生年月日:1941年2月12日
出身地:兵庫県城崎郡日高町(現豊岡市)
失踪:1984年2月13日(43歳没)
失踪場所:アメリカ合衆国 アラスカ州マッキンリー山中
現況:行方不明(認定死亡)
出身校:明治大学農学部卒業
職業:登山家、冒険家
兵庫県城崎郡(今の豊岡市)で
農家の7人兄弟の末っ子として生まれました。
直己の名前の由来は、
直の文字を先祖からもらい、
巳年に生まれたことから
直巳と名づけたそうです。
‥がしかし!
町役場の担当者が誤字で登録しまって
直己の字になったそうですね。
人の名前を間違って登録してそのままって
今では考えられませんね^^;
しかし、本人は「直己の方がかっこいい!」と
気に入って名乗っていたそうです!
そんな直己さんは地元で育ち、
兵庫県立の豊岡高等学校を卒業します。
その後、1年間ほど会社勤務し、
1960年に明治大学農学部へ入ります。
そこで山岳部へ入部して登山にハマり、
その山岳部の仲間からアラスカ旅行で
氷河を見たことを聞き、
海外の山に憧れを持つようになります。
大学卒業後に就職試験に失敗してから
さらに異国の地へのあこがれは増すばかりの直己さん。
『ヨーロッパアルプスの氷河を見たい』
と思うも、資金が足りません。
そこで周囲の反対を押し切り、
アメリカで資金を貯めようと
船に乗り単身ロサンゼルスへ渡ります。
・英語も分からない
・現金は渡航費の4万円のみ
という驚きの状況でアメリカへ渡ったというので、
植村さんの心の強さに感心します。
「ヨーロッパ・アルプスの氷河が一目見たかったから。」
直己さんのまっすぐな心に胸打たれますね!
しかし!
苦労して渡米したにも関わらず
不法就労だった植村直己さん。
現地で捕まり、アメリカにはいれなくなり、
フランスへ向かうことになりました。
そしてモルジヌのスキー場で働き、
資金を稼ぎながら登山活動の拠点とします。
そこで持ち前の幸運と努力により
どんどん前進していきます。
◆著名な冒険実績◆
1970年‥世界初五大陸最高峰登頂
1978年‥単独北極圏到達
1984年‥世界初マッキンリー冬期単独登頂
1984年2月12日の43歳の誕生日に
世界初であるマッキンリー冬季単独登頂を
成功させましたが、
その翌日に下山途中の交信以来、
連絡が取れなくなり、消息不明となっています。
その3日後に小型飛行機で
マッキンリーを捜索したところ、
植村さんらしき人を発見しましたが
天候が悪かったため救出できず見失ってしまいました。
その後2度ほど植村直己さんの捜索が行われましたが、
未だ植村直己さんは発見されていません。
しかし、やがて生存率0%となり捜索を打ち切られ、
最後の交信が確認された
1984年2月13日が植村直己さんの命日となりました。
享年43歳という、早すぎる一生を終えました。
妻と息子や娘さんはどんな人?
植村直己さんには最愛の奥さまがいます。
お名前は公子さんで、
直己さんより年上の姉さん女房です。
馴れ初めは公子さんが働いていた
トンカツ屋さんに植村直己さんが
来店し、ひとめぼれしたそうです。
2人が結婚したのは1974年5月18日で、
植村さんが33歳のときでした。
当時、植村直己さんは結婚直前まで
ヒマラヤのダウラギリに遠征偵察隊として
出かけていました。
そして帰国したあとすぐに、バタバタと挙式をすることに。
しかし、冒険家として活動する植村直己さんは
新婚生活もゆっくり過ごすことなく、
結婚から約半年後には
日本からグリーンランドへ向かい、
年の瀬も迫った12月末頃には
西海岸のケケッタを出て一万二千キロの旅が始まりました。
もう奥さんとしては茫然とするしかないような
成り行きですよね^^;
1974年に結婚して1984年に
マッキンリーに行ったきりになるまでの10年間で、
2人が一緒に暮らしたのは
半分の5~6年間ほどだったそうです。
そんな植村直己さんですが、
公子さんとの結婚生活にはこんなエピソードがあります。
東京にいるときはいつも明るく陽気な性格で
怒った姿を見せなかったそうですが、
月に1回ほど、ささいなことで
急に怒りが爆発することがあったと言います。
もちろんその受け止め役は妻の
公子さんだったそうです。
そして怒りが吹っ切れると、
急に我に返って深刻な様子で
怒ったことを謝るのだそうです。
普段おとなしい植村さんが怒るということは、
それだけ公子さんに対してすべてをさらけ出して、
頼りにしていたということかもしれません。
そして公子さんの話によると、
結婚してから少しずつ外にも
怒れるようになってきたそうで、
それからだんだん自分の気持ちを出せるようになったそうです。
ちなみに植村直己さんの奥さまである
公子さんについての情報はありますが、
子どもさんについては何も語られていないので
おそらくお子さんはいらっしゃらないと思います。
結婚生活もほとんど一緒に過ごさなかったので、
無理もないかもしれませんね。
くわしくはこちらの『夢の軌跡』に
掲載されています↓
まとめ
・植村直己さんの奥さまは植村公子さんで、夫の良き理解者だった。
・お子さんはいなかった。
・植村さんは、1984年2月12日のマッキンリー登頂達成後に消息不明となっている。