1945年8月6日に世界で初めて広島に原爆が投下されて、およそ14万人の方が亡くなりました。
そんな当時の被爆者の証言や写真、遺品などが展示されているのが広島平和記念資料館です。
展示されたボロボロになった三輪車や、真っ黒こげの弁当箱、背中一面にやけどを負った少年の写真などの実物を目の前にすると言葉を失ってしまいますね…。
そんな資料館の中でもトラウマになると言われているのが、被爆者のケロイド状になった皮膚のホルマリン標本と被爆再現人形です。
なかには資料館で吐き気をもよおして体調が悪くなる方も出ているほどです。
そこで今回は、実際に展示されていたホルマリン標本と被爆再現人形とはどのような物か紹介していきます。
それでは見て行きましょう。
こちらの記事では、広島平和記念資料館で過去に展示されていた被爆再現人形や被爆者の遺品の画像が出てきますので、閲覧が心配な方はここでページを閉じて下さい。
広島平和記念資料館(原爆資料館)のホルマリン漬けや蝋人形がトラウマになる?
広島に来たら毎回必ず行く
平和記念資料館。平和への思いを馳せて
歴史を学んできました☺️永遠に平和であってほしいな😊 pic.twitter.com/EBaNcYy97M
— なかたか@Tokyo base (@nanntokacchi) September 23, 2022
広島平和記念資料館の本館は改修工事のために閉館して、2019年4月25日にリニューアルオープンしました。
それに伴い遺品の劣化も考慮して、展示物はほぼ総入れ替えされました。
入れ替えをせずに残してある物は主に以下の3点になります。
NHKドラマ『一番電車が走った』。三輪車。焦げた弁当。広島の原爆資料館に展示されている。これを入れるのにスタッフの方は頑張ったのだろうと思う。それとともに資料館を訪問していないとわからないであろうことが残念。 pic.twitter.com/YYO39neWFp
— 山猫 / REDs ☭ (@yamaneko_strike) August 10, 2015
広島平和記念資料館には、原爆が落とされた時間「8時15分で止まった時計」、被爆して亡くなった中学生が食べることを楽しみにしていた弁当箱等が展示されている。
もう2度、このような悲劇が繰り返されてはならない。
そして、この悲劇を忘れてはならない。
これからの平和の為にも…… pic.twitter.com/oUM3jT3RBW— 石川 五右ェ門 (@goemon_zan) August 6, 2022
- 三輪車
- 3人の中学生の遺品
- 弁当箱
これらは原爆被害の象徴的な展示物として、新しい資料館にも引き継がれています。
広島平和記念資料館には、現在2点のホルマリン標本があります。
標本が展示されている場所は、本館の4『生きる』のコーナーです。
背中にケロイドを負った男性の写真が大きく掲示されているコーナーに、被爆を負った手の爪や、体から出てきたガラス片が展示されています。
ケロイドの写真にうつっている男性は吉川清さんと仰る方で、「原爆一号」と呼ばれた平和活動家の方です。
書籍化されて、当時の新聞にも掲載されました。
そこにケロイドの標本も一緒に展示されています。
- 左足の太ももにできたケロイドの切片
- 右腕~ひじにかけてできたケロイドの切片
【※胎児のホルマリン標本がある(あった)という情報が見られますが、係員の方に聞いたところ「広島には胎児のホルマリン標本はない」とのことでした。】
リニューアル前は、被爆女性の抜け落ちた髪の毛も展示されていましたが、展示開始から20年以上経過していたため、劣化を考慮して現在は資料庫へと移動しています。
ほかにも1973年から、火傷を負って皮膚をぶら下げて歩く被爆再現人形も展示されていましたが、被爆者から「被害はこんなものじゃなかった」と否定する声があったため展示をやめたそうです。
「実際の原爆の被害を軽く受け止められかねない」という意見がありました。
小さいお子さんがこの人形を見ると「お化け屋敷みたいで怖い。」と怯える子がいたと言います。
実際は、悲惨すぎる事実を目の当たりにして具合が悪くなる方がいるので、展示をマイルドにしたのではないかとも言われています。
リニューアルによって撤去された被爆再現人形はこちらです。
原爆資料館の。被爆再現人形撤去。その撤去理由調べて。個人的に衝撃うけたわ。戦争未経験の小さい子供や。今も心苦しんでる被災者への。精神的配慮ではなく。被爆者からの。
『原爆被害の凄惨な情景はこんなものではなかった。もっと悲惨だった』
という。戦争に対する過小評価の訴えらしい。IYRK pic.twitter.com/i0GAzWglHl
— 🇯🇵100OKUENPLAYER🕶️NFT Artist🎨 (@100OKUENPLAYER) August 6, 2019
本物の資料ではないにせよ、「原爆被害の悲惨さをわかりやすく視覚に訴えるので、撤去するべきでない」と広島市民から署名が集まったそうです。
しかし、資料館には被爆者の遺品がたくさん寄付されており、それぞれの持ち主が分かっているので、被爆者一人ひとりにフォーカスした展示に変更されることになりました。
リニューアルによって、人の手で作った物ではなく”実物展示”に重点を置くことになったそうです。
展示物の中でもトラウマになる…と、一部の方から懸念されているのがホルマリン標本です。
現在では、フロアのコーナーに展示されていて思わず見落としそうになりますが、普段見慣れていないホルマリンを目の当たりにしてショックを受ける方も多いようです。
資料館を出てから「食事が喉を通らない」というツイートがいくつか見られました。
小学校の修学旅行は広島の原爆ドームとか平和公園で、ケロイドのホルマリン漬けを見た後に昼食でした。食べられない子いっぱいいたよ。私は平気だったけど。
— どなどなどーなー (@runrunroo) November 7, 2011
大人になってから平和公園と原爆資料館へ行き、市内各所を回って見てきた。その夜食事がろくに喉を通らなかった。
広島も長崎も平和式典はNHK民放ぶち抜きで放送するべきだと毎年思う。#長崎原爆の日#長崎平和祈念式典— みらい (´ー`)σ (@intensely_fresh) August 9, 2022
学生の頃 原爆資料館に行き
その後に食事が喉を通らず
現実におこっていたことなんだと
72年が経ち風化させない
若い人達にも知っておいてほしい— 圭 (@ten106464) August 6, 2017
犠牲者の方の気持ちを考えると「トラウマ」という表現は良くないと思いますが、医療従事者ではない素人が亡くなった人の組織のホルマリン漬けを見るのはさすがに辛いかもしれません。
広島平和記念資料館(原爆資料館)は吐き気に苦しむほどグロい?
※日数はLED電球のため写真に写りませんでした。
近頃では「ショックを受けたくないから…」と、資料館を避ける人が多くなっているそうです。
核のおそろしさや原爆そのものの現実を知るためにも、原爆資料館を避けるべきでないことは事実ですが、実際にはその悲惨な現実を目の当たりにすると吐き気にみまわる方もいます。
【関連記事】
原爆ドームの心霊写真の画像が怖い!心霊体験で体調不良になった話
本館がリニューアルしてからは、館内はCG再現や写真資料がキレイに展示されて、現物は被爆者が身に着けていた衣服やカバン、帽子などの持ち物が中心に展示されるようになりました。
被爆者が描いた原爆当日の絵もたくさん掲示されていたのが印象的です。
大やけどを負って皮膚をぶらさげて彷徨う姿や、飛び出た目を手で受け止める子どもの絵、全身のやけどで体がパンパンに膨れている人など、目を覆いたくなる絵がいくつも掲示されていました。
我が家の小学生の子どもはここでリタイアです。
「怖いよ。見たくない!」と言うので、抱っこするとずっと目をつぶっていました。
被爆者の写真と日記がパネルになっていて、その方の気持ちがよく伝わる展示でした。
しかし昔の資料館を知る方は、展示物が大幅に入れ替わっていると指摘しています。
小学校の修学旅行で原爆資料館に行った記憶は今も生々しい。同級生の何人かは嘔吐し泣き出した。数十年後に再び資料館へ。驚いた。展示物が変っている、本当に物凄い資料は取り除けられ、修学旅行生が笑顔で出て来る。これが歴史の証言と言えるのか?!頼むから米大統領には本当の本物を見せてくれ。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) May 25, 2016
広島の原爆資料館、リニューアルされてから展示物がガラリと変わった。原爆、放射能、後遺症の恐ろしさを伝えるエグい資料や写真はほとんど消え、マイルドな内容になっててそれが悲しくて泣きました。たぶんアメリカ側への配慮だと思う。しかし大切なことは「はだしのゲン」が伝えているからな。
— 10/9国会議事堂前あたりで(もずくちゃんバンド) (@tokozureblues) December 25, 2012
資料館がリニューアルしてからは「まるで美術館のようだ。」と言う方もいました。
同感です。広島平和記念資料館は有料で何故被曝された国民が払わなければ見れないのか?館内はCG再現や写真資料が綺麗に展示され、まるで美術館。売店では平和を主張するTシャツやグッズが販売され見世物のような状態に疑問を抱いた。投下も捏造なら真実は狂気。
— JONY5 (@TRUTHFUL54) August 4, 2022
旅行口コミサイトによると、開館当初は「原爆のありのまま」が分かる生々しい展示物が多かったそうです。
出血斑のある舌や脊髄といった体の組織も展示されていました。
原爆で亡くなった方の年齢分布を見ると12~13歳の子が一番多かったため、被害に苦しむ残酷な写真も多かったそうです。
資料館の中で泣き出す人がいたと言うほどなので、当時もかなりリアルな展示だったんですね…。
資料館へ行って吐き気に悩まされた方の声を見てみると…
私が初めて広島の原爆資料館に行ったのは60年前、6歳の夏だった。歪んだ時計、ガラス瓶、最もよく覚えているのは髪の毛が殆ど抜けた幼い女の子の写真だった。放射能のことを初めて知った。怖くて吐き気を催したが「気持ち悪い」と母に言えなかった。言ってはならないと必死に嘔吐を堪えた。
— eのつくjunne (@e_junne) August 6, 2021
今日は広島に原爆が投下された日
原爆資料館に行った時、あまりの惨さに吐き気がして、全部見れなかったことを思い出します
— サク (@sakura_spring33) August 6, 2018
昔ゴールデンウィークに行った広島の原爆資料館での映像が悲惨すぎて大して暑くもなかったのに目眩と吐き気を起こしたな……
— 零(REI)9/24,25✌️ (@tyurixtupu) August 10, 2020
@skri_ex3
ホテル~!お風呂入って今のんびりしてる(*´ω`*)原爆資料館行ってきた!長崎よりもグロテスクで怖くて途中気持ち悪くなって吐き気きた(..)←広島の方ごめんなさい(._.)— 。 (@HirohiroCoco220) February 10, 2013
吐き気がして耐えれず、途中で見るのをやめて退館した人もいました。
広島平和記念資料館は決して忘れてはいけない戦争と原爆を後世に伝えていく場所であり、歴史的な出来事を正面から見据えることは大事ですが、リラックスして見学しに行くところではないかもしれません。
しかし一度は必ず訪れて、平和とは何かを自分なりに考える必要がありますね。