『窓ぎわのトットちゃん』は、黒柳徹子さんがトモエ学園の校長・小林宗作先生の愛情に包まれながら、自由な教育の中で伸び伸びと成長していく物語です。
あたたかく優しい世界に、たくさんの感動が詰まったお話ですが、そんな自由教育を取り入れていたトモエ学園は発達障がい児を受け入れる学校だったのかという疑問が出てきます。
実際はどうだったのか、トモエ学園の生徒の様子や小林宗作先生の教育方針について調べてみました。
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【写真】トモエ学園は発達障がい児を受け入れる学校?
₊✧#あいみょん さん
メジャーデビュー7周年
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— 映画『窓ぎわのトットちゃん』公式アカウント (@tottochan_movie) November 30, 2023
黒柳徹子さんの自伝的作品『窓ぎわのトットちゃん』では、トットちゃんという主人公が、型破りで落ち着きのない行動から小学校を退学になります。
その後、トットちゃんは個性を尊重するトモエ学園に入学し、いきいきと育っていく姿が描かれています。
黒柳徹子さんは、2001年に発売した『小さいときから考えてきたこと』の本の中で、自身が発達障害であることを告白したことから、トットちゃんの話に出てくるトモエ学園は発達障がいの子どもを受け入れている学校として読まれることがあります。
トモエ学園は1945年に東京大空襲で焼失したため、当時の情報もあまり残っていませんが、トットちゃんの本から次のことが分かっています。
トモエ学園は全校生徒50人足らずの規模の小さい学校で、学習障害の子、小児麻痺の子、肉体にハンディキャップがある子など、さまざまな事情のある生徒が通っていました。
また黒柳徹子さん自身も、はじめて入学した小学校で授業中に机のフタを頻繁に開け閉めしたり、窓からチンドン屋さんに声を掛けたりする様子から、今で言うところのADHDの傾向があると言えるような子でした。
トットちゃんがトモエ学園にはじめて訪れて校長先生と面接したとき、マシンガントークするトットちゃんのことをあたたかい眼差しで見守り、ひたすら話を聞いてくれました。
4時間ほど話し終わってから「じゃ、これで君はこの学校の生徒だよ」と、トットちゃんをトモエ学園の生徒として迎えることに決定。
入学前に面接をおこなって子どもの様子を見てから入学を決めていたことから、やはり事情のある子どもが多かったのかもしれないと思いました。
当時の小林宗作先生の教育方針に次のようなものが挙げられています。
「どんな子も生まれたときには、いい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな回りの環境とか、大人たちの影響でスポイルされてしまう。だから早く、この『いい性質』を見つけて、それを伸ばしていき、個性のある人間にしていこう。」
引用:【窓ぎわのトットちゃん】Ⓒ黒柳徹子/講談社
トモエ学園が発達障がいの子どもを受け入れる学校だったかどうかは、はっきり分かりませんでしたが、自由教育を取り入れた自由な校風ということで、事情のある子どもが通いやすい小学校だったことは間違いなさそうです。
『窓ぎわのトットちゃん』トモエ学園の学費はいくら?
トモエ学園は東京都目黒区自由が丘に佇む、私立の幼稚園・小学校です。
黒柳徹子さんの父親はN響で活躍するバイオリニストでしたが、戦前の不安定な情勢のなか、収入は安定せず、質屋にいろんな物を預けて食いつないでいました。
トモエ学園の学費も例外になく、大事なバイオリンを質屋に預けて融資を受け、コンサートが近くなって練習する時に、質屋から出してくる…ということを繰り返して、トットちゃんの学費を捻出していたことが明かされています。
こうしたエピソードから、当時の私立小学校の授業料がそこそこ高額だったことがうかがえますね。
そこで当時の小学校事情について調べてみると、明治33年に尋常小学校(当時の小学校の名称)は4年制に統一され、授業料は無償化されたことが分かりました。
つまり公立小学校では、基本的に授業料を徴収しないと規定されたそうです。(参考:文部科学省)
その後、昭和16年に尋常小学校に代わって「国民学校初等科」と名称が変わり、高等科の2年間とあわせて8年間が義務教育になりました。
しかし、戦時非常措置により、高等科の授業料徴収は引き続きおこなわれていたそうです。
ネットにその当時の国民学校高等科(公立)の月謝袋の画像がありました。
こちらは昭和18年4月1日の頃の国民学校の授業料の月謝袋です。
トットちゃんがトモエ学園に通っていたのは昭和16年頃なので、だいたい同じくらいの時期です。
封筒の額面を見ると…一ヶ月25銭という金額。
現在のお金に換算すると2千円くらいになるそうです。
トットちゃんの通っていたのは私立小学校なので、授業料はおそらくもっと高いと思われます。
見当もつきませんが、30銭以上は必要だったんでしょうか?
ちなみに当時の物価を見てみると…
- 郵便はがき…1銭5厘
- 鉄道運賃(山手線初乗り)…10銭
- うどん・そば…15銭
- 入浴料…20銭
- バナナ1kg…49銭3厘
といった値段だったそうです。
小学校の授業料が高いのか安いのかよく分かりませんが、当時 黒柳徹子さんには2人の弟と妹がいたので、いろいろと入用は多かったでしょう。
戦前の時代で生活は大変だったかもしれないですね。
そんななか徹子さんのことを思って、自由教育を取り入れた小学校に通わせてくれたことに両親の愛情が感じられますね。