アンソニートゥー(中川智正の面会者)とは誰?経歴やプロフィールも

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こんにちは。あこぽんです。

いよいよオウム裁判も終結し、
事件に関わった者たちが
最後のときを迎えようとしています。

1995年に東京地下鉄で痛ましい事件が起きてから、
今年で はや23年が経ちます。

 

あの事件が起きた日は日本中がパニックに陥り、

テレビも新聞もどこを見ても
しばらくオウム事件のニュースで持ち切りだったのを覚えています。

 

当時、筆者はまだ小学生でしたが、

駅付近でたくさんの人が倒れていて、
オレンジ色の毛布をかけられ
救急車で運ばれていく光景を目の当たりにし、

子ども心ながらに、恐怖を感じたことを今でも覚えています‥。

 

さて、その事件に関わったオウムの13人が
東京拘置所内に収容されていましたが、

そのうちの7人が3月14日に
他地域の拘置所へ移送されました。

 

そのなかの一人である中川智正さんと
移送の前日に面会したアンソニー・トゥー教授(学者)が、

面会日の翌日によその拘置所へ移動することを
本人から聞いていたことで話題になっています。

 

そもそも気になったのが、
なぜ中川智正さんが外国人の教授と連絡を取って
会うことができたのでしょうか?

面会が許されていた
アンソニー・トゥーさんがどんな方なのか気になっています。

 

そこで今回は、アンソニー・トゥーさんについてまとめました。

・アンソニー・トゥーさんのプロフィールや経歴
・中川智正さんとはどんな関係なのか

それでは見て行きましょう。

 

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アンソニー・トゥー名誉教授(杜祖健)のプロフィールや経歴について

 

移送の前日に中川智正さんは
アンソニー・トゥー名誉教授へ
メールを送っていたことが明かされています。

 

『移されたら、会う機会がなくなるから会いたい』

報道によると、

アンソニートゥ教授と中川智正さんとは
特別な事情から連絡が取りやすい環境でした。

 

中川さんは親族でもない
アンソニー・トゥーさんに対して、

『もう会えなくなるから会いたい』

とこぼすくらい、気の置けない仲に
なっていたことがうかがえますよね。

信頼関係が築けており、心が打ち解けていたのだと感じます。

中川智正さんにとってアンソニー・トゥーさんは
心のよりどころ的な存在だったのかもしれません。

 

そんなアンソニー・トゥーさんについてです。

名前:杜 祖健(と そけん)
英語名:アンソニー・トゥー
生年月日:1930年生まれ
年齢:88歳
出身地:台北市
趣味:ピアノ
職業:アメリカの化学者・千葉科学大学の教授・コロラド州立大学の名誉教授

 

くまきちくん
名前から、彫りの深い外国人の方をイメージしていたけど、アジア系のお顔だちなんだね?

 

アンソニー・トゥーさんは
もともと生まれも育ちも台北市で、

台北市華山小学校→台北一中へ進学してから、
台湾大学系理学部化学を学んでおられます。

その後に渡米し、スタンフォード大学でヘビ毒の研究を行っていました。

 

アンソニー・トゥーさんは日本統治下で育ったことから、
中国語英語に加えて日本語も流暢なトリリンガルです。

 

そんなアンソニートゥーさんは、
毒性学の世界的な権威として知られており、

米軍・海軍から資金提供を受けて
研究を行った経験があったり、
その研究歴は世界的に評価されています。

毒物サリンやVXなどの化学兵器に精通する
毒性学の権威と称されているんですね。

 

また、松本サリン事件発生後の1994年6月に

オウム真理教の拠点である
山梨県のサティアンへ足を運び、
その場所の土を採取して調べ、

当時の警察当局にサリンの分析方法を指導したり
捜査協力を行い、事件解決に大きく貢献した実績があります。

毒性学の専門家として、事件解決のために
なくてはならない存在だったと見受けられます!

アンソニートゥーさんは温厚な性格から、
”好々爺”と呼ぶにふさわしい
やさしい人柄な方だそうです。

 

そんなやさしい雰囲気を持つ彼に、
獄中で孤独だった中川智正さんは
どこか癒しを求めていたのかもしれませんね。

 

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父や母など両親はどんな人?

 

アンソニー・トゥーさんについて調べていると、
父親も世界的な著名人だったことが分かりました。

 

父親は杜聡明(とそうめい)さんとおっしゃり、

1893年8月25日生まれで、享年93歳でお亡くなりになりました。

パン子さん
93歳って、長寿だったのね!

アンソニートゥーさんは現在88歳ですし、
長寿は血筋の要素もあるのかもしれませんね。

 

そんな父 杜聡明さんは、清朝統治下の台湾生まれで、

1915年に日本へ渡り、京都帝国大学(今の京都大学)医学部を専攻。

なんと!
台湾で初めて医学博士号を取得したお医者さん
だったそうです。

くまきちくん
日本人でも入学困難な京大に入学したうえに、医学部だったなんて正真正銘の天才だったんだね!!
パン子さん
頭がキレまくっていたのね!
 

父 杜聡明さんは漢方医学の研究発表を行って
医学会から注目を集めたり、

医大の前身となる学び舎を設立したりと、

台湾医学に多大な影響を与えたことで有名な方です。

 

他にも、アヘンやモルヒネや毒蛇の研究に功績があり、

蛇毒から鎮痛剤を抽出したり、
赤痢特効薬の開発を行い、
薬理学方面で活躍されていました。

アンソニー・トゥーさんの人生は
父親からの影響が大きかったようですね。

 

そしてアンソニー・トゥーさんの母親は
林双隨さんという方で、

台湾で著名な一族である霧峰林(むほうりん)家
娘さんだったそうです。

霧峰林家は、清朝統治時代の台湾において
もっとも影響力のある一族だったと言われています。

良家出身のお母さんだったんですね!

 

台湾初の医師である父
良家出身の母

まさに絵に描いたような
華麗な一族だったと想像できます!

 

そんなアンソニートゥさんは
3人兄弟の末っ子で、上に2人のお兄さんがいます。

 

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オウムの中川智正さんとはどんな関係?

 

さて、話は戻りまして、

オウムの中川智正さんとアンソニートゥーさんが、
面会を重ねることになったきっかけとは何だったのでしょう?

 

調べてみると、色々と細かい話がありましたが、
分かりやすく解説しますと、

アンソニートゥーさんが
地下鉄サリン事件解決の捜査協力したことをきっかけに、

特別に許可を得て、
化学兵器によるテロ研究のために、
中川智正さんと面会することが許されているとのことです。

そのため、表向きでは毒物研究のために面会しているということになります。

 

アンソニートゥーさんは日本語が堪能なので、
面会もスムーズだったことが予想できますね。

 

2人が初めて顔を合わせたのが
2011年12月14日の東京拘置所で、

医師免許を持っている中川智正さんは、
アンソニートゥーさんの論文や本をよく読んでいたそうで、
以前からアンソニーさんのことを知っていたそうです。

今まで2人が14回ほど面会をしてきたうち、

ほとんどが中川さんから面会を望み、
アンソニートゥさんが日程を調整して
会っていたそうですね。

拘置所内で自分の希望を聞いてもらえることに驚きましたが、
もはや2人の関係は研究の域ではないようにも感じました。

 

そんな2人は、毒物の論文を発表する予定があったそうで、

2017年に北朝鮮の朝鮮労働党委員長の兄である
キムジョンナムさんが亡くなった件で、

今後のテロ対策に役立てるために、
アンソニートゥーさんと中川智正さんが共同で
毒物の論文を発表する準備が進められていたそうです。

しかし、中川さんに残された時間が
あとどれくらいあるか分かりませんし、
現実になるのか分からない状況です。

 

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まとめ

 

・アンソニー・トゥーさんは台湾出身の毒性学の世界的学者で、オウム事件解決に大きく貢献した。

・中川智正さんと面会していた理由は、今後のテロ対策や毒物の研究のため。

 

いよいよ 東京拘置所で収容されていた事件関係者が
よその拘置所へ移送になり、
今後に注目が集まっています。

 

二度とこのような事件が発生しないようにと
私たちは願うばかりですね‥。

当時の事件のことを思い出し、
改めて命の重みを感じています。

2018年7月6日追記

本日午前中に、広島拘置所に移送されていた
中川智正さんがお亡くなりになりました。

ご冥福をお祈りします。

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2018.07.06
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