こんにちは。あこぽんです。
メジャーリーグのイチロー選手の
父親のチチローこと、鈴木宣之さん。
イチロー選手が大記録を打ち立てたときなど、
何かあるたびにインタビューで
コメントなさっていますね。
やさしい笑顔と気さくなしゃべり口で
ファンからもよく知られていますが、
息子であるイチロー選手とは
不仲説がささやかれています。
父宣之さんと言うと、
イチロー選手に野球の英才教育をして
学生時代の野球生活を支え続けてきたことが有名ですよね。
そんな絆の深い親子がなぜ不仲と言われているのでしょう?
また、イチロー選手の野球の練習に
密に付き合うことができた、
父宣之さんの職業って何なのか気になっています。
そこで今回は、
・鈴木宣之さんの経歴と職業
・子育てエピソード
・親子不仲説の真相について
これらについてまとめていこうと思います。
それでは見て行きましょう!
チチローこと鈴木宣之(のぶゆき)さんの経歴や仕事について
https://t.co/Mwk6E38BFf
大リーグ通算3千安打を達成したイチロー選手。父、鈴木宣之さんも笑顔でした。#イチロー #Ichiro3000(達) pic.twitter.com/dbxkGSJwwP— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) 2016年8月8日
名前:鈴木 宣之(すずきのぶゆき)
愛称:チチロー
生年月日:1942年12月8日
年齢:75歳(2018年5月現在)
出身地:愛知県名古屋市熱田区
学歴:東海中学校→東海高校→芝浦工業大学工学部二部 卒業
宣之さんの職業は、作家とアマチュア野球の指導者です。
イチロー選手の子どもの頃のエピソードで
毎日父親から2千円をもらってバッティングセンターへ行っていた!
という驚きなお話がありました。
たしかに毎日子どものバッティング練習のために
2千円を渡せるなんて、とってもバブリーですよね!
それも納得だったのが、
宣之さんはもともと地元愛知県で
町工場の社長さんをされていました。
宣之さんは大学卒業後に、
東京にある伯父の会社に勤務した後、
1970年に愛知県西春日井郡で
機械部品製造会社を創業しています。
1970年と言うと、
当時まだ若干28歳という若さで
社長に就任したことになるので、
かなりやり手な方だったと想像できますよね。
また、同じく西春日井郡豊山町にある
イチロー記念館を運営する会社BTRの
代表も務めています。
他にも、子どもと野球に関した
講演活動にも積極的に取り組んでおられます。
イチローの子育てエピソードが話題!
宣之さんの野球の英才教育に関しての
エピソードは驚くべきものがあります。
・小学3年生から毎朝3時半から一緒に野球の練習をしていた。
・中学生~高校生までは、毎日バックネット裏から練習風景を眺めていた。
・毎晩寝る前と起きる前に足のマッサージをしてあげていた。
宣之さんには、
『子どもとの約束は必ず守る』
というポリシーがあり、
毎日イチロー選手の野球の練習に
付き合っていました。
その練習時間はなんと!
学校での練習時間も含めて8時間にものぼったそうです。
”イチロー選手=天才”という
イメージがありましたが、
結局のところどれだけ練習したかなんですね。
そして、そんな子どもに対して
親がどれだけまじめに向き合うかが
とても重要なところです。
宣之さんのイチロー選手へのフォローは、
まじめを通り越して
息子への溺愛ぶりが感じられますよね。
一般的な家庭だと親の肩をたたいて
スキンシップして‥
という光景がイメージできますが、
鈴木家の場合は逆ですもんね。
親が子どものために毎日まいにち。
しかも毎日マッサージされる効果も計り知れません!
イチロー選手にとって
安心できるひとときだったと思いますし、
精神的な癒しにもなっていたでしょうね。
イチロー親子を見ていると
子どもって、つくづく可能性の塊なんだな~って思います。
良い水をあげるのか、あげないのか。
宣之さんは最大限、親に出来ることをされていたんだなと!
ちなみにイチロー選手は
中学時代、学校の成績が良かったそうで、
学年で常に20番以内をキープしていたそうです!
野球の練習で疲れていても、
時間を作って勉強しているところに驚きですよね。
イチロー選手を見ていると、
”忙しいから勉強できない”なんて
とてもじゃないですが、言えませんね。
親子仲が絶縁状態って本当?
イチロー選手と父宣之さんの
親子仲が絶縁状態と言われる理由は
いくつかありました。
イチロー選手の奥さまは
元TBSアナウンサーの鈴木弓子さんです。
弓子さんの方が8歳年上の姉さん女房なんですね。
とてもしっかりなさっていて、
結婚当初は専業主婦でしたが、
2005年には美容サロンの
経営に携わる会社を設立したり、
不動産投資などを始めたりと、
かなりやり手な方です。
そんな弓子夫人と結婚してからとくに
宣之さんとの不仲がささやかれているイチロー選手。
そもそもお2人が結婚するときに
宣之さんは反対していたとのこと。
どうにか2人が結婚したあとも、
早く子どもを授かるように
言い続けていたそうです。
また、イチロー選手が稼いだお金を使って
弓子さんが会社経営を行っていることに関しても
宣之さんはあまり良く思っていないのだそう。
2人のプライベートに関して
日頃から小言をいっていたということですね。
イチローの妻ではなく、
『鈴木家の嫁』というのを
全面に出してしまった宣之さん。
そんなことから、イチロー夫婦は
オフにアメリカから帰国しても
宣之さんの元に近づこうとしないそうです。
そして親子不仲の理由に、
イチロー選手の許可なしで、
イチローの名前を使ったカレーを作って
販売してしまったことも
不仲の原因だという説があります。
イチロー選手は、父宣之さんが
講演など ことあるごとに自分の名前を
使うことに嫌気がさしていたそうです。
そもそもチチローというニックネームも
メディア露出が多かったことから
マスコミが付けたもの。
そんな宣之さんにイチロー選手は、
「黙っていて欲しい。」と苦言を呈してきたようでした。
もしかしたらそんな度重なる
父の言動にイチロー選手は
疲れてしまったのかもしれません。
まとめ
イチロー選手の親子不仲説がささやかれていますが、
イチロー選手の夢を応援して
愛情を注いで育ててくれたのはご両親ですし、
なんとも複雑な気持ちになりますね‥。
もう父宣之さんは、
70も後半に差し掛かりますが、
これからもあの元気いっぱいな
明るい笑顔で人生の格言を語って欲しいですね。
これからもチチローに注目しましょう!