大谷翔平選手がWBCの日本代表選手として試合に出場して大活躍してますね!
連日、日本中が試合の生中継を見て盛り上がっています!
大谷翔平選手が活躍すると家族にも注目が集まりますが、父の大谷徹さんについて調べてみると「離婚」というキーワードが出てきて気になりました。
いつの間にか大谷ご夫妻は離婚されたのでしょうか?
そこで今回は以下についてまとめていきたいと思います!
- 大谷夫妻が離婚した噂について
- 父・徹さんの現在の仕事
- 大谷徹さんのプロフィールと経歴
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大谷翔平選手の父・大谷徹さんは離婚した?
大谷翔平選手の両親の話題を見ていたら、「離婚」という検索キーワードを見つけて驚きました。
2018年には息子のメジャーリーグの試合を夫婦仲睦まじく観戦するニュースが報じられていたのに…いつの間に!?と思いました。
2人とも大谷翔平選手の勇姿を見られて幸せそうでしたよね。
…が、なんと両親の離婚の話はまったくのデマでした。
現在も大谷夫妻は結婚生活を送っておられます。
大谷夫妻が離婚したと話題になった理由は、おそらくこちらのニュースの影響だと思います。
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先週末、多くの人に読まれた記事No.2🥈は…#大谷翔平 が乗った「片道で4000万円」VIPジェット費用は自腹か、わざわざ“東京に寄り道した理由”https://t.co/HOORwJR23R#プライベートジェット#週刊女性(@shujoprime)— 週刊女性PRIME (@shujoprime) March 6, 2023
大谷選手がWBCの試合に出場するためにアメリカからプライベートジェット機で日本に帰国した。というこちらのニュース。
大谷選手は名古屋での壮行試合の日程にあわせて侍ジャパンの練習に参加する予定でしたが、なぜか名古屋に向かう前に羽田空港へと寄っています。
週間女性プライムの記事によると、都内の自宅に寄るために羽田で一度降りた。というわけですね。
チャーター機であれば、直接名古屋に向かうこともできたはず。
しかしなぜ一度東京を経由したのか? 羽田到着の翌朝には米国大使館を電撃訪問したが…。「一度、都内にある自宅に寄ったのだと思います。そこには母親も暮らしていて、束の間の母子水入らずの時間を過ごしたのではないでしょうか。到着の翌朝は母親の手料理で腹ごしらえをしてから米国大使館に向かったのかもしれません」
引用:週刊女性PRIME
母・加代子さんは夫の徹さんと岩手で暮らしていますが、大谷翔平選手の帰国中は息子の自宅のタワマンを訪れて、食事や身の回りのサポートをすることがあるそうです。
その前置きが無かったため、「お父さんはなぜいない?」「離婚したの?」と勘違いされたようです。
母・加代子さんは、大谷翔平選手が渡米すると実家のある岩手県へと戻っているようなので、大谷夫妻は離婚していないはずです。
このように夫婦が揃っていないだけで、世間から”離婚”と勘違いされてしまうので、大谷選手クラスともなると大変ですよね。汗
大谷徹さんの現在の職業は何してる?
大谷徹さんは、2016年末の54歳のときに長年勤めた『トヨタ自動車東日本』を退職しました。
2017年2月6日のニュースポストセブンの記事によると、父・徹さんが会社を退職した理由は…
- プロ野球選手の息子のサポートをするため
- リトルシニアの監督業に専念するため
といった理由なのだそうです。
大谷徹さんは、2014年から岩手県胆沢郡の金ヶ崎リトルシニアという中学硬式野球チームの監督をしています。
仲間と共に立ち上げた、県内9チーム目となるリトルシニアです。
大谷翔平選手が日本ハム時代に「ジュニアに目標とされる選手になりたい」と父に話していたことから、「翔平が言うなら、自分も子どもの力になれることをやろう。」そう思ったのもリトルシニアを立ち上げた理由の一つだそうです。
先ほどの記事によると、大谷翔平選手はメジャーリーガーとしての年俸は軽く数十億に及んでいますが、お金は親が管理しており、本人は月10万円のお小遣い制だと書かれていました。
息子がメジャーリーガーで収入は親が管理しているなら、ご両親は仕事をする必要はなさそうですよね。
大谷翔平選手のサポートと少年野球チームの監督業に専念できますね!
大谷選手は親をラクさせてあげて親孝行者ですよね。
ということで、大谷徹さんの現在は金ヶ崎リトルシニアの監督をやっておられます。
【大谷徹さんのプロフィールと経歴】出身高校は?
大谷徹さんは岩手県黒沢尻工業高校の野球部出身です。
高校卒業後は、当時の三菱重工横浜の野球部に7シーズン在籍し、外野手としてプレーしました。
社会人チームの強豪がひしめく神奈川県で戦い、「岩手のレベルの低さを知った」と痛感したそうです。
徹さんは1年おきにレギュラーを獲得しましたが、チームが県代表を逃した時に主力選手の入れ替えが決まり、戦力外通告を受けてしまいます。
それを機に30歳過ぎに岩手へと帰郷し、金ヶ崎町の現・トヨタ自動車東日本岩手工場に入社しました。
奥さんと子どもを育てるために、必死に夜勤もこなしながら働いたそうです。
長男の大谷龍太さんも野球をやりましたが勝てないまま高校を卒業。
仕事が忙しく、幼少から硬式野球を教えてやれなかったことを後悔したそうです。
「こいつだけは仕事を犠牲にしても教えよう。」
そう思い、野球の基本を叩きこんだのが大谷翔平選手だったのです。
徹底して教えたことは以下の3つです。
- キャッチボールの練習
- 全力疾走
- 元気に声を出す
「本当に実践できている人はプロでも一握りだ。どこへ行っても続けろ。」と言い聞かせたそうです。
父・徹さんが指導しているリトルシニアでも鉄則になっていると言います。
その後『トヨタ自動車東日本野球部』が創部されて、父・徹さんは長男の龍太さんを勧誘してコーチ兼外野手としてチームに入団させることになりました。
大リーグ・エンゼルスの大谷翔平の兄で、トヨタ自動車東日本に所属する大谷龍太が、社会人日本一を争う都市対抗野球に初出場しました。
https://t.co/JM08HpjREg pic.twitter.com/cUWVRJN9H7— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) July 17, 2018
息子にチームを任せられる環境も整い、大谷徹さんは2016年に会社を退職しています。
今後も自分の好きなことに専念できる人生を歩んで欲しいですよね。