鬼舞辻無惨の直属の配下である十二鬼月のなかで、最強の鬼である上弦の壱・黒死牟。
彼は無惨の手によって、人間の頃の記憶を残された鬼の一人ですが、黒死牟の過去の記憶が、始まりの呼吸の剣士についてひも解くために重要となっています。
鬼となる前、黒死牟は継国巌勝(つぎくにみちかつ)という人間でした。
彼には妻や子どもがいましたが、あまり詳細は語られていないので、人間だった頃について調べてみることにしました。
- 継国巌勝の妻や子どもなどの家族について
- 巌勝時代の愛刀&呼吸法について
- 巌勝が縁壱にあげた笛のエピソード
それでは見て行きましょう!
【画像】継国巌勝(つぎくにみちかつ)の妻や子供について
黒死牟は、鬼になる前の人間の頃は継国巌勝(つぎくに みちかつ)という名前でした。
母の朱乃が亡くなったあとに、弟の縁壱が「寺へ行く」と言い残して失踪してしまいますが、その後10年余り経ったあとに巌勝は結婚して2人の子どもができました。
戦国時代は男性も結婚するのが早く、大名では織田信長は15歳、徳川家康も15歳、武田信玄は13歳で結婚したそうです。
そうなると巌勝が結婚したのは、当時ではわりと平均的な年齢だったのかなと思います。
巌勝は、武将として野営に出かけたときに鬼に襲われるところを縁壱に助けられ、衝撃の再会を果たします。
剣技も人格者としても立派になった縁壱をうらやんで、巌勝は自分の嫁と子どもを捨てて鬼狩りになる道を選びました。
巌勝の頃の描写は少ないですが、画像を見る限り、巌勝の第一子は男の子のようですね。
息子の年齢は、背格好からして5~7歳くらいになるでしょうか?
そして妻は赤ちゃんを抱いています。
自分が強くなるために、家族との別れを決意してしまうほど、縁壱の強さへの憧れや嫉妬が感じられますね‥。
憎悪の念は根深いものがあるとうかがえます。
継国巌勝時代の愛刀&使用していた呼吸法は?
鬼となり、顔に目が6つある恐ろしい顔つきの黒死牟ですが、そんな彼が愛用している刀は特徴的なものです。
ん?あれ?黒死牟さんの刀が…… pic.twitter.com/ji4PYlffI7
— 三途川 (@you41944312) July 17, 2019
刀身には目玉がいくつも付いた禍々しい刀を用いて、月の呼吸を使って戦います。
人間時代の巌勝だった頃、縁壱から剣技を習っているときに愛用していた刀は、いたって普通の刀でした。
”始まりの呼吸”と言われる日の呼吸を習得しようと鍛錬を積んだ巌勝でしたが、縁壱のように痣が発現したものの、どれだけ頑張っても日の呼吸を習得することはできませんでした。
使えるようになったのは、月の呼吸という日の呼吸の派生のものでした。
その後に痣が出た自分には残された時間がないことを知り、焦っているときに鬼舞辻無惨と出会い、鬼になるよう持ち掛けられ、上弦の壱の黒死牟となりました。
巌勝は、日の呼吸が使える縁壱から直接やり方を教わっても、習得には至らなかったことから、日の呼吸は努力だけで使えるものではなさそうです。
巌勝は、弟の継国縁壱に笛をプレゼントした?
継国家に生まれた双子の巌勝と縁壱。
2人が生まれた時代は、双子は跡目争いが起きると言われていたため、縁壱は10歳になったら寺で出家する予定でいました。
幼少期から部屋も着物も教育も、食べ物も差をつけて育てられた2人。
しかし巌勝は父の目を盗んでは、縁壱の部屋へ遊びに行き、おもちゃの笛を作ってプレゼントします。
この笛がこの先の話でキーアイテムとして登場します。
母の朱乃が亡くなったときに、縁壱は予定より早く寺へ行くことを告げ、巌勝に別れの挨拶をする場面。
いいただいた この笛を 兄上だと思い
どれだけ 離れていても 挫けず
日々精進 致します#鬼滅の刃#緑壱 pic.twitter.com/M7NcQNO7l3
— 寒ブリP☺︎なろう。 (@kanburidaioze) October 12, 2019
おもちゃの笛を大事そうに布にくるんで懐にしまい込む縁壱。
はずかしそうに笑みを浮かべて頭を下げる様子に、巌勝は気味悪がっていました。
そして60数年後に黒死牟となってから再会した2人。
”痣がある者は25歳を過ぎて生きることができない”と言われていましたが、80歳を過ぎてもなお 縁壱は生きていました。
黒死牟となり 醜い姿になり果てた巌勝を見て、縁壱は「お労しや兄上」と涙を流します。
2人は戦いますが、そのあとに縁壱の懐から、幼い頃に兄からもらった笛が出てきます。
それを見て、また涙する黒死牟。
黒死牟の憎悪の感情とは反対に、縁壱は兄をことを忘れず生きてきたんですね。
黒死牟はたとえ弟縁壱と離ればなれでいても、心の奥底では自分の人生に影響を及ぼすレベルで意識していたのだと思います。