”令和おじさん”として親しまれている菅義偉首相が、第99代目の内閣総理大臣に就任しました。
菅義偉さんというと、”実家の農業を継ぐのが嫌で、家出同然の状態で集団就職で上京した。”という話がクローズアップされていますよね。
それ以外、あまり実家の家族とのエピソードが見当たらないのですが、
菅家は、父・母・姉2人・義偉さん・弟の5人家族だったそうです。
一体どんなご家族のもとで菅義偉さんは育ったのか?ということで、今回は菅さんの実家の家族に注目していきたいと思います。
これにしぼって、まとめていきましょう!
【菅義偉首相の父母のプロフィール】年齢&経歴・職業は?
待ち受けを総理大臣本命、菅官房長官に。 pic.twitter.com/Q4RsuJ4W0L
— さかたやセブン (@sakataya7) August 31, 2020
まず菅義偉さんのご両親について見ていきます。
名前:菅 和三郎
出身地:秋田県雄勝郡
生年月日:1916年(大正5年)生まれ
年齢:2010年に93歳で死去
名前:菅 タツ
出身地:秋田県雄勝郡
生年月日:不明
菅首相の父である和三郎さんは、秋田県雄勝郡で菅家の11人兄弟の長男(2番目に出生)として生まれました。
父和三郎さんと母タツさんは近所に住んでいたので、もともと知り合いだったそうです。
母のタツさんは教師をしていました。
和三郎さんは、第二次世界大戦中に地元秋田県から満州に渡り、南満州鉄道の職員として働いていました。
そして1943年に秋田から満州へとやってきたタツさんと結婚し、翌年の1944年に長女純子さんを授かります。
和三郎さんが28歳のときのことでした。
満州鉄道の職員時代にはすでにお子さんがいらっしゃったのですね。
満鉄勤務時代は官舎がありお手伝いさんもいて、かなり待遇が良い環境だったそうです。
幸せな家庭を築いていましたが、戦争で負けた1年後に日本へ引き上げてきました。
1945年10月には次女が生まれましたが、長女の純子さんはまだ歩くこともできない、ほぼ赤ちゃんの頃ですし、ご両親は大変苦労されたと見受けられますね。
父 和三郎さんは帰国後は、秋田県湯沢市でいちごの生産組合を設立し組合長となり、雄勝町会議員になりました。
「秋の宮いちご」をブランド化し成功させたのが和三郎さんです!
国産いちごの生産も極一部の地域になってきました。
ただいまミカドで使っているいちごは秋田の『秋の宮』
12月頃までは国産いちごの入荷が難しい時期になってきますが、可能な限り国産にこだわっていきます。 pic.twitter.com/mULieF7crv— MIKADO (@cake_mikado) July 9, 2019
市場関係者のあいだでも名の通った方で、ベテランの東京の市場関係者が「ワサ」と聞くと、和三郎さんが作ったいちごだと分かるほどだそうです。
秋田のいちご生産組合の第一人者なんですね。
和三郎さんは息子の義偉さんに実家の農家を継ぐために、農業大学へ行くように勧めましたが、高校卒業後は集団就職で上京しました。
よく”菅義偉さんが父に反発して、家出同然で上京した”と言われていますが、お父さんは最終的には理解を示していて、「言うこと聞かないから仕方ない。こっちに戻ってきてもやることがないから、自由にやりなさい。」と話していたそうですよ。
その間もお母さんとは連絡を取り合っていたそうですし、親子仲が悪いわけでなくて安心しました。
【菅義偉首相の姉・弟のプロフィール】年齢&経歴・職業は?
秋田県湯沢市のいちご農家で、4人姉弟の長男として育った菅義偉さんですが、上に2人のお姉さんがいます。
名前:純子
生年月日:1944年(昭和19年)6月生まれ
年齢:76歳(2020年現在)
名前:不明
生年月日:1945年(昭和20年)10月生まれ
年齢:75歳(2020年現在)
長女の純子さんは、終戦1年前の1944年に満州で生まれました。
次女は、翌年 終戦の年となった1945年に中国奉天市(現在の瀋陽市)で生まれたそうです。
当時の満州の地図はこんな感じです。奉天は南部のあたりですね。↓
終戦した1年後の1946年に、父の地元である秋田県雄勝郡に家族で帰省しました。
母や叔父、叔母が教員だったことから、お姉さんは北海道教育大学に進学しました。
北海道教育大学は、現在は道内に札幌校、旭川校、函館校、釧路校、岩見沢校の5つのキャンパスがある、規模の大きい国立大学で、教員になるためのカリキュラムが充実している大学です。
姉の2人はともに高校教諭となり教鞭をとっていました。
ちなみに”菅首相は、お姉さんと同じ北海道教育大学を受験して失敗した”という報道があったそうですが、これは事実ではないそうです。
菅さんは‥
「教員だけにはなりたくない」
そう固く思っていたそうですよ。
父や姉と同じ道に進む‥というような、型にはまるのが嫌なタイプなのかもしれません。
そして菅義偉さんの弟についてですが、まったくネットに情報がありませんでした。
しかし義偉さんの年齢から考えて、おそらく弟さんは60代なのかなと思います。
人によってはまだ元気に働いている方もいらっしゃるので、もしかしたら父 和三郎さんのいちご農家を継いでいらっしゃるのかも‥と思いました(憶測)。
きっと兄の活躍を地元から見守っていることだと思います!
菅義偉さんは家族思いで、官房長官として忙しい日々を過ごすなか、今でも週1度は母と姉に連絡をとっているそうです。
また姉弟が上京したときには、自分が忙しくてもホテルに顔を出して家族で会話するようにしているんですって。
菅さんの活躍の裏には、家族のあたたかい支えがあったんですね。
菅義偉さんの今後のご活躍に期待しつつ、応援していきたいですね。