菅義偉首相は政治家を志すようになった1975年から11年のあいだ、衆議院議員の小此木彦三郎(おこのぎひこさぶろう)先生の秘書として勤めました。
菅さんが26歳のときに、大学のOB会の事務局長から小此木先生を紹介してもらったことがきっかけとなったそうです。
まさにこの運命的な出会いがあったおけげで、菅首相の政治家人生が始まったんですね。
小此木先生は若かりし頃の菅さんを大変かわいがって、通産大臣時代には通産大臣秘書官に任命したこともありました。
そんな小此木先生とは、どんな方なのでしょうか。
そこで今回は、小此木彦三郎先生について注目していきたいと思います。
- 小此木彦三郎さんのプロフィール&経歴
- 奥さまや子どもさんはどんな方なのか
- 菅義偉首相とのエピソード
これらについてまとめていきます!
目次
【小此木彦三郎(おこのぎひこさぶろう)さんのプロフィール&経歴】出身大学は?
菅義偉さんが
最初に秘書として仕えたのが小此木彦三郎さん、
尊敬していたのが梶山静六さん、
と聞いて、何となく彼のルーツが分かったような気がする。
この二人は、ポピュリズムや劇場型政治とは線を引いた、愚直で実直な保守、これがもしかしたら目指すところなんかもしれん。
知らんけどな。 pic.twitter.com/0YBjeFyyte— キルゴアさん (@KilkilGoregore) August 31, 2020
名前:小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう)
出身地:神奈川県
生年月日:1928年1月26日
没年月日:1991年11月4日
年齢:63歳没
自由民主党所属の衆議院議員
小此木彦三郎さんの父・小此木歌治氏も衆議院議員でした。
政治家のもとに生まれた小此木彦三郎さんは、早稲田大学文学部哲学科を卒業されています。
卒業後に横浜市会議員を経て、第32回衆議院議員総選挙に神奈川1区から出馬し初当選されました。
運輸政務次官、外務政務次官、衆議院運輸委員長などを経て、1983年に第2次中曽根内閣の通商産業大臣として初入閣されました。
竹下改造内閣の時には建設大臣を務め、自民党国会対策委員長、衆議院議院運営委員長を歴任しています。
小此木彦三郎さんの死因は怪我によるものだった?
党内でも有数の議運・国対族として知られ、与野党に幅広い人脈を持っていた小此木彦三郎さんですが、1991年のある日、衆議院第2議員会館7階の事務所へ盟友だった梶山静六氏のもとを訪ねました。
しかし梶山静六氏が不在だっだので、5階の自分の事務所に引き返した時に階段から転落し、頭を強打してしまいました。
打ちどころが悪かったのでしょう。
これが原因で1991年11月4日に63歳という若さで亡くなっています。
【小此木彦三郎さんの家族】嫁&息子の年齢と職業は?娘がいた?
小此木彦三郎さんのご家族は、奥様の節子さん、長男の歌蔵さん、次男の治郎さん、三男の八郎さんの5人家族です。
長男の小此木歌蔵さんは、神奈川県横浜市にある倉庫会社の4代目社長をされています。
2016年からは、横浜港大さん橋国際客船ターミナル共同事業体代表に就任されました。
おそらくですが、父親である彦三郎さんは、衆議院議員の肩書きもありながら「小此木商店代表」という肩書きもあったことから、長男の歌蔵さんは代々続く会社を受け継いだのではないかと思われます。
次男の小此木治郎さんについての情報は、残念ながら見当たりませんでした。
そして三男の小此木八郎さんは、ご存じの方も多いと思いますが政治家です。
【衆/神奈川3区】小此木八郎
撮影日》2019/11/06
撮影場所》https://t.co/IZLGQ1yajC
タグ》 #みずえさポスター pic.twitter.com/xBv40eergo— みずえさ(政局) (@3zeaP) November 9, 2019
2020年現在の年齢は55歳。
自由民主党所属の衆議院議員、自由民主党治安・テロ対策調査会長、自由民主党神奈川県連会長を務めています。
2020年の菅内閣では、第96代国家公安委員会委員長に任命されました。
八郎さんは玉川学園高等部→玉川大学文学部を卒業後、1989年に父親である彦三郎さんの事務所に入所し、彦三郎さんが亡くなるまで、彦三郎さんの秘書を務めていました。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧神奈川1区から出馬し、初当選されました。
三男の八郎さんが政治家の道へと進み、彦三郎さんの後を継いだのですね。
ネット上では、小此木先生の娘について検索されていますが、どこを調べても娘さんに関する情報が見当たりません。
そのため、子どもについて検索した人が”娘”と入力してしまい、それが検索窓に残っているのでは?と思います。
もし今後、何か新たに分かれば追記させていただきます。
小此木彦三郎さんと菅義偉さんとのエピソードについて
菅義偉さんは小此木彦三郎さんの秘書を11年間務めていました。
その当時のエピソードなどを見ていきたいと思います。
本日、菅義偉長官の部屋に行った際の決定的瞬間。パンケーキだけではなくて甘いものは全般的にお好きなのです。甘いものを前にした柔和な笑顔!ホッと一息ついてエネルギーチャージ。この後直ぐに部屋を出て(大勢の記者に囲まれて)行かれました。菅長官、がんばれー! pic.twitter.com/s7newCkzmk
— 秋本まさとし (@akimoto_chiba9) September 4, 2020
菅義偉さんは小此木彦三郎さんの秘書時代に、現在の奥様である真理子夫人と出会っています。
真理子夫人は、菅義偉さんの秘書仲間のお姉さんでした。
真理子夫人は静岡から上京し、今で言う”家政婦”として小此木彦三郎さんの自宅を出入りしていました。
小此木彦三郎さんの三男である八郎さんが語っていたエピソードでは、菅義偉さんは他の秘書とは異なり、昔で言う書生さんのような形で秘書をしてたいそうです。
【書生】とは‥
政治家や作家などの家に寄宿し、特定の分野の下積みを行う者のこと。
”他人の家に住み込みで雑用などを任される学生”というような意味合いがあります。
どちらかと言うと、家政婦寄りな感じの秘書だったんでしょうか。
当時、独身でアパート住まいだった菅義偉さんは、毎朝小此木彦三郎さんの家に来て、ご家族の皆さんと朝食を摂る生活が数年間はあったとのことです。
八郎さんにとっては本当に家族同然で、お兄さんのような存在だったとも語られていました。
真理子夫人も、菅義偉さん自身も小此木彦三郎さんによって、お2人は出会い 結婚まで至りました。
さらには、菅義偉さんの一目惚れだったと明かされています。
小此木彦三郎さんの秘書を務めている時には、世界各地へと一緒に向かい、日本でも家族同然の用だったとのことなので、本当に仲も良く相性の良いお2人だっだのであろうと思います。
小此木彦三郎さん無しでは、今の菅義偉さんはいなかったのかもしれませんね。