四代目・市川段四郎さんの妻であり、市川猿之助さんの母である喜熨斗延子さん。
あまり表舞台には出てきませんが、梨園の妻として歌舞伎役者の生活を長年支えてきた方です。
そんな喜熨斗延子さんとは、どんな方なのでしょうか?
そこで今回は喜熨斗延子さんについて調べました。
【顔画像・喜熨斗延子さんのプロフィール】生年月日は?
旧姓:加藤
出身地:京都府京都市
生年月日:1948~1949年生まれ
没年月日:2023年5月18日
年齢:75歳
喜熨斗延子の読み方は「きのし のぶこ」
喜熨斗延子は、なかなか聞かない苗字ですよね。
日本には10世帯ほどしかない珍しい苗字で「きのし」と読みます。
喜熨斗延子さんの実家は友禅図案家のお嬢様!
喜熨斗延子さんは、京都の友禅図案家・加藤庸三さんの長女です。
友禅の細かい絵画のような模様を布地にデザインする職業です。
実に緻密で美しい絵柄だそうですよ。
\まるで絵画のよう👘/#京コトはじめ
「華麗にして繊細 手描き友禅」絵画のように着物を染めていく
手描き友禅は華麗にして繊細✍
職人達の製作の様子や作家の作品等
京都の手描き友禅の魅力を紹介🖌21(金)【総合】午後3:10https://t.co/XfdOVCWjwT pic.twitter.com/OOnqA79XDC
— NHK京都 (@nhk_kyoto) April 20, 2023
京都きもの友禅は、歌舞伎界とは深い関わりがあったのかもしれませんね。
日本舞踊・坂東流などの伝統芸能をたしなんでおられました。
1974年 延子さんが26歳の時に、一歳年上の市川段四郎さんと結婚。
翌年の1975年11月に猿之助さんを出産しています。
猿之助さんは一人息子で、たくさんの愛情を注がれて育てられました。
ちなみに1975年頃の平均初婚年齢を調べると、男性が26歳で女性が24歳です。
延子さんは結婚適齢期での結婚だったんですね。
延子夫人はテレビなどに出演したことがないようで、どこを調べても生い立ちや家族のエピソードなどは見当たりませんでした。
控えめな性格で、あまり表舞台には出る方ではありませんが、静かに日本舞踊をたしなむなど梨園の妻らしい方だと好評だったそうです。
市川段四郎さんのご活躍はまさに内助の功のおかげだったんですね。
喜熨斗延子さんの司法解剖の結果は?
【続報】歌舞伎俳優・市川猿之助さんと両親が倒れているのを発見 両親は死亡https://t.co/7p6fM6cQdx
市川さんの母親はその場で死亡が確認され、市川さんの父親も搬送先の病院で死亡が確認された。市川さんは搬送時、意識があったという。 pic.twitter.com/ubQypeXXWI
— ライブドアニュース (@livedoornews) May 18, 2023
2023年5月18日、東京都目黒区目黒3丁目の市川猿之助さんの自宅で、市川猿之助さん、父・段四郎さん、母・延子さんの3人が口から泡を吹いて倒れているのが見つかりました。
【午前10時過ぎ】
市川猿之助さんの舞台出演のため、マネージャー2人(女性68歳・男性40代)が自宅に迎えに行く。
玄関のカギが開いており、呼びかけても返事がなかったため、自宅の中へ。
【午前10時18分】
猿之助さんの意識がもうろうとしており、父母の意識がなかったため、女性マネージャーが119番通報。
延子さんはその場で死亡が確認される。すでに死後硬直が始まっていた。
【午前11時22分】
市川段四郎さんが意識不明で救急搬送され、病院で死亡が確認される。
市川猿之助さんは地下室のクローゼットで見つかり、両親は2階の部屋で見つかっています。
猿之助さんは呼びかけると「あー」「うー」と答えるのみで、会話ができる状態ではありませんでした。
頭上にはスケッチ用のキャンバスに書かれた遺書が見つかっています。
【遺書の内容は第三者への相続だった…】
市川猿之助の遺書の全文内容は?無理心中はパワハラ報道が原因?
両親はリビングのフローリングの上で、パジャマ姿で仰向けの状態で倒れていました。
首から下に1枚の布団が掛けられていましたが、敷布団や枕は無い状態だったようです。
司法解剖の結果、延子さんは死後数時間ほど経過していたことが報じられています。
- 家のカギが開いていた
- 部屋が荒らされた形跡はなし
- 薬のビンや練炭は見つかっていない
- 両親には布団が掛けられていた
以上のことから、第三者の関与が懸念されています。
引き続き、捜査の結果を待ちたいと思います。