ヒロミさんは芸能界の第一線で活躍していたのも関わらず、ある時期を境にテレビで見かけなくなりました。
その期間はなんと10年にも及びますが、なぜ芸能活動を休止してたんでしょうか?
”堺正章さんから干された”とも言われてますが、それは本当なんでしょうか?
そこで今回は、ヒロミさんが芸能界から消えた本当の理由を調べました。
目次
ヒロミが芸能界から姿を消し、10年間干された?
ピーク時には10本以上のレギュラー番組に出演し、バラエティではお馴染みの人気タレントだったヒロミさんでしたが、2004年~2013年の10年間は芸能界から姿を消していました。
最後にテレビに出演したのが、2004年7月24~25日に放送された『27時間テレビ』の『生・笑わず嫌い王決定戦』でした。
「FNS27時間テレビ」04/7/24。ナイナイとの約束を守り、「生笑わず嫌い王決定戦」に登場したとんねるず。久しぶりにB21スペシャルでネタをやったヒロミさんに煽られて、とんねるずもネタを披露する。その姿に大喜びの共演者たち。 pic.twitter.com/upv13bM1Fh
— のてい (@notei) March 25, 2018
10数年ぶりに「B21スペシャル」として復活し、コントを披露しています。
メンバーはヒロミさん、デヴィット伊東さん、ミスターちんさんの3人。
しかし、これとほぼ同時期にレギュラー番組はすべて終了。芸能界から姿を消すことになります。
芸能界から消えて10年間は何をしていた?
芸能界から姿を消してから、ヒロミさんは実業家として活動していました。
加圧トレーニングジムや岩盤浴の経営をして、第二の人生をスタートさせていたのです。
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ヒロミさんは「芸能界の第一線で活躍していた頃は天狗になっていた」と話していましたが、経営者としていろんな職種の人と話をするうちに優しさや労いの気持ちを持つようになったそうです。
伊代さんは「人としての器が大きくなって、とんがっていたのを丸くしてもらった。宝の10年だった。」と話してました。
過去には車で事故をして生死をさまよい、大やけどを負うなどヒロミさんは人生波乱万丈でしたが、芸能活動休止もちゃんと意味のある10年間だったんですね。
またヒロミさんはテレビを離れた際に「毎日飽きるまで遊んでやろう」と思い、いろんな遊びに挑戦してます。
実業家以外にトライアスロンにも取り組みましたが、実際は「6~7年でいい加減飽きた」そうです。
芸能界から退いてから、暗い気持ちで暮らしていたわけではなさそうで安心しました。
ヒロミが芸能界を追放されたのは堺正章への失言が原因?
ヒロミさんが芸能界から干された理由として有名なのが、「堺正章さんに失礼な態度を取ったから」という噂です。
その噂の火元となったのが、女性週刊誌の報道です。
堺正章さんとヒロミさんは、1996年から『発掘あるある大事典』でメインMCを務めていましたが、2004年3月の番組リニューアルを機にヒロミさんだけが番組を降板しました。
その理由として、番組の打ち上げの時にヒロミさんが「堺さん、最近ちょっとおもしろくないんですよね」とダメ出しして、さらに「マチャアキ」と呼んだことに腹を立てて番組を降板させたのではないかと言われました。
それからテレビの露出が減ったことから、2007年に女性週刊誌が堺正章さんがヒロミさんを干したと報道しています。
その後、ヒロミさんと堺正章さんの共通の友人である木梨憲武さんが仲裁に入ったところ、「それならお前が漫才をやったら許してやる」と堺正章さんに言われ、2004年7月に放送された「27時間TV」内の「生・笑わず嫌い王決定戦」のコーナーで漫才を披露。
その時、ヒロミさんはタレントとしてソロ活動が多かったので、久しぶりのお笑いトリオでのコントとなり、大スベリしてしまいました。
その放送で大スベリしたことで「ヒロミの時代は終わった」と業界内で噂が広まり、仕事は激減。
結果、堺正章の策略によって干されてしまった。という話です。
しかし、2014年の『新チューボーですよ!』で10年ぶりに堺正章さんと共演したときにヒロミさんはこの噂を否定しています。
「それ、ホント面白いよね(笑)面白がって否定しなかったらけっこう広まっちゃったんだけど。
失礼も何も、おれは堺センセイにもずっとタメ口だったし、先輩んも「おじさん(ビートたけし)」「おい、森田(タモリ)」なんて呼んでたからね。それでいい関係ができてるから大丈夫なんだよ。」
どうやら堺正章さんに失礼な態度を取ったから芸能界から干されたというわけではなさそうです。
また堺正章さんも2016年11月放送の『ダウンタウンDX』で、当時の気持ちを告白してます。
もともと「おい、マチャアキ!」などと接してくるヒロミに対し、堺は「そういう後輩がいるってことは嫌なことじゃなかった。楽しかったの」と振り返った。だが、いつの間にか「干した」という噂が堺本人の耳にも伝わったという。
「『僕じゃないよ』って言ってたんだけど、ふと考えたら、タレント一人の力で、タレントの職業生命を奪うことができるって、『俺、すごいんだな』って。しばらくは『ご想像にお任せします』って言うようにしていた(笑)」
週刊誌報道や堺正章さんの冗談が独り歩きして都市伝説になってしまった説はあるかもしれません。
ヒロミと堺正章の納豆事件とは?
ヒロミさんが芸能界から姿を消した理由を調べていると、「堺正章 納豆事件」という検索候補が出てきます。
どう関係するのでしょうか?
これについては、過去に共演していた『発掘あるある大事典』が、納豆ダイエットのデータを捏造して放送したことが報道されて問題になったことがありました。
当時の『発掘あるある大事典』は世間のブームを作り出す番組として認知度が高かっため、納豆ダイエットは瞬く間に人気となり、空前の納豆ブームが巻き起こりました。
2004年3月に番組がリニューアルされたのも虚しく、そのまま番組は打ち切りとなってしまいました。
以上のように、ヒロミさんが芸能界から消えた理由と、番組の納豆事件とは何も関係がなく、
『発掘あるある大事典Ⅱ』で納豆の話題を扱ったことによって、検索結果に関連するキーワードとして引っ張ってきただけだと思われます。
ヒロミが芸能界から10年間消えた本当の理由は2つ!
ヒロミさんが芸能界から消えた本当の理由は2つあります。
- 親友の病死
- 後輩芸人やスタッフに偉そうな態度を取り嫌われたから
それぞれ見ていきましょう。
親友の病死
2017年4月に放送された『金スマ』にて、ヒロミさんが芸能界活動を休止していた本当の理由は親友の病死が原因だったことを明かしてます。
ヒロミさんのデビュー以来、芸能活動を長年支えてきた放送作家の親友・吉野晃章さんが、2004年4月にがん闘病後に白血病を患い亡くなりました。
ヒロミさんはショックで「死ぬほど泣いた」と番組で語っています。
吉野さんはデビューしたばかりのヒロミさんと気が合い、自分を理解してくれる良き相談相手として一緒に番組を作っていました。
ヒロミさんは当時レギュラー番組を十数本抱える人気タレントでしたが、歳をとるにつれ、「もっと大人になれないか」と周りからキャラ変更を迫られるようになりました。
長年生意気キャラを売りにしてきたヒロミさんは困り果て、もがいていた時にそばで支えてくれたのが吉野さんだったそうです。
レギュラー番組が減って不安でいると「そのままでいいんだよ」とやさしく支えてくれました。
しかし2003年に吉野さんが白血病に侵されていることが発覚。
ヒロミさんは毎日のようにお見舞いに訪れて励まし続けました。
吉野さんは「早く治してヒロミを助けなきゃ」と話し、骨髄移植を受けることにしました。
その間も吉野さんにネタを書いてもらっいB21スペシャルライブがおこなわれたそうです。
ヒロミさんの芸能活動に大きな影響を与えた人だったんですね。
その数週間後に骨髄移植がおこなわれましたが、吉野さんの体に合わず昏睡状態となり、2週間後に帰らぬ人となってしまいました。
デビューからずっとヒロミさんの味方をしてくれた親友の死は、ヒロミさんにとってはあまりにもショックが大きく、今後の方向性など何も分からなくなったそうです。
そうしているうちにレギュラー番組はすべて終了し、ヒロミさんは芸能界から姿を消したのです。
テレビ局のスタッフとの確執
その一方で、2015年7月に放送された『しくじり先生 俺みらいになるな!!Qさま!!合体3時間SP』では、芸能界から消えた理由は「後輩芸人やスタッフに偉そうに接してしまったから」と告白しています。
共演者にタメ口をきいて、頭を叩いたりする芸風に関してスタッフと揉めるようになり、やんちゃで粗暴キャラだったため、番組スタッフに「ヒロミ、もうちょっとソフトにできない?」「頭を叩くのはどうなんだろう?」と言われたそうです。
そんな時にヒロミさんは「何ならオレやめてもいいよ」と開き直ったところ、「はい、ご苦労様」と肩たたきにあったと話してます。
また、ゲスト出演のオファーはあっても「若い時から司会ばかりやってきて、いざ自分の番組が終わった時、別の番組にゲストとしてどうやって出ていいのか分からなかった」のもテレビから離れた理由の一つだと語っていました。
その後は加圧トレーニングジムや岩盤浴の経営をしていましたが、ある日さんまさんに番組に呼んでもらっていると中居くんから電話がかかってきました。
「もう(テレビ)に出てもいいんじゃないですか?」
と言われてたそうです。
それから2014年にヒロミさんは芸能界に本格復帰することになりました。
きっと親友の吉野さんも天国で喜んでくれてるでしょうね。