黒柳徹子さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』の舞台となっているのがトモエ学園です。
なんと本物の電車が教室になっていると言う、子どもにとっては夢のような学校です。
しかも戦前に実在していたというので、さらに驚きました!
そんな一度は見てみたいトモエ学園ですが、現在は存在していません。
一体なぜ無くなってしまったのでしょうか?
そこで今回は、
- トモエ学園のその後はどうなったのか
- トモエ学園が無くなった理由
- トモエ学園の現在について
- トモエ学園の跡地は何が建っているのか
これらについてまとめました。
それでは見ていきましょう。
【子どもでも読めるトットちゃんの絵本】
トモエ学園の現在はなぜなくなった?
トモエ学園は、1937年~1964年にリトミック教育の第一人者である小林宗作先生が創設した私立幼稚園・小学校です。
所在地は東京都目黒区内で、校舎は本物の電車を使った一風変わった学校として、地域では有名だったそうです。
もともとは1928年に手塚岸衛さんが創設した「自由が丘学園」が前身となっています。
そんなトモエ学園は1945年の東京大空襲で焼失しました。
ある日の晩に、東京上空に現れたB29の飛行機からいくつもの焼夷弾が自由が丘一体に落とされました。
トモエ学園が佇む自由ヶ丘周辺では、あちらこちらで火の手が上がりました。
住民らが戦火を逃れて防空壕へ避難するなか、トモエ学園も被害に遭ってしまいます。
校舎はたちまち炎に包まれて燃え盛り、全焼。
恐ろしい音を立てて崩れていくのが見えたそうです。
校舎となりで暮らしていた校長先生ご一家は、九品仏の池のそばのトモエ学園の農園に逃げて無事でした。
校長先生は通りに立って、校舎が焼けるのを呆然と見つめていたそうです。
トモエ学園は校長先生の私財で建設された夢の学校でした。
戦争の悲劇を目の当たりにして、さぞ悲観したかと思えば、隣で立っていた息子さんに「おい。今度はどんな学校作ろうか?」と語り掛けて気丈に振る舞ったそうです。
校長先生の子どもに対する愛情や教育に対する情熱は、学校を包んでいる炎より、ずっと大きかったのです。
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その後、トモエ学園は幼稚園の校舎のみ再建されましたが、翌年の1946年には小学校は廃校となり、幼稚園のみが存続していました。
小林宗作先生はご自身の小学校を再建する夢を抱き続けましたが、残念ながら叶うことはなく、1963年に小林先生の死去により、幼稚園は閉園されて以降は休校となっていました。
その後は後継者も見つからず、1964年にトモエ学園は事実上の廃園となりました。
戦後、小林宗作先生は幼稚園の再興を進めるかたわら、国立音大学の保育科(現在の幼児教育科)をつくることに協力したり、また同大学でリトミックを教えたりと日本の教育に関わり続けたことがトットちゃんの書籍(Amazon)で明かされています。
トモエ学園の跡地は何が建ってる?住所はどこ?
トモエ学園の跡地は、現在はどうなっているんでしょうか?
まずトモエ学園の所在地を調べてみたところ、黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』の本によると次の場所だと分かりました。
所在地:東京都目黒区自由が丘2-15-4付近
現在、この場所には 自由が丘 デュ アオーネという商業施設が建ってます。
ピーコックストア自由が丘店跡地(東京都目黒区)にオープンした、イオンモールさんの新しい都市型商業施設「JIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)さん。ウッドデッキやベビールームには、わが地元の“多摩産材”のヒノキがふんだんに使用されている。 #イオン #JIYUGAOKAdeaone #自由が丘 pic.twitter.com/wiNgVfPtJX
— Ichikawa Tamotsu (@ichitamo) October 20, 2023
2023年10月20日にオープンしたばかりの新しいショッピングモールで、テラスにはたくさんの植物が植えられ、かつての自然豊かなトモエ学園が思い出されるような佇まいだそうです。
トットちゃんの映画が放映される年にオープンするとは、なんだか不思議なご縁を感じますよね。
『窓ぎわのトットちゃん』が発売されたばかりの1984年頃は、”トモエ学園の跡地には ピーコック・スーパーストア(正式名称は『ピーコックストア自由が丘店』)が建っている”と本に書かれていました。
黒柳徹子さんは、昔を思い出してトモエ学園の跡地を車で訪れたところ、ピーコック・スーパーストアの駐車場の警備員さんに「満車だからダメ!」と叫ばれて、昔に思いを馳せることもできないのか…と涙を流したそうです。
「トモエ学園のことを説明しても分かってもらえなさそう」と思ったことも明かしていました。
その後 1988年4月24日から、店頭にて黒柳徹子さんの言葉が記されたトモエ学園の記念碑が設立されました。
「窓ぎわのトットちゃん」の通っていたトモエ学園は、ここにありました。
小林校長先生は「君は、本当はいい子なんだよ」と、私に言い続けて下さいました。
もし、校長先生にお逢いしてなかったら、いまの私は、まったく別の人生を歩いていたと思います。学校に来るのは、毎日、楽しかったです。1945年に空襲で学校は、焼けてしまいました。
でも、思い出は、生き生きと、私の胸に残っています。ここは私達の楽園でした!追伸、トモエがここにあったという記念碑は、ピーコックが大切に残しておいて下さいました。
2023年にピーコックは、リニューアルオープンなさいます。
それまで、どうぞ、みなさま、たのしみにお待ち下さいませ!黒柳徹子
しかし、こちらのピーコックストア自由が丘店は、2021年5月31日をもって閉店しています。
そして現在は、『自由が丘デュ アオーネ』のテナントに入る形で『ピーコックストア自由が丘デュ アオーネ店』がリニューアルオープンしました。
黒柳徹子さんが著書で語っていたピーコックストア自由が丘店は、一旦閉店して『自由が丘デュ アオーネ』としてリニューアルオープンしたというわけですね。
【トモエ学園の卒業生は著名人が多い!】
>>トモエ学園の卒業生のその後まとめ
まとめ
- トモエ学園は1945年の東京大空襲の被害に遭い、焼失してしまった。
- その後 幼稚園は再建されたが小学校の再建は叶わず、1964年に事実上の廃校となった。
- 現在、トモエ学園の跡地には『自由が丘 デュ アオーネ』という商業施設が建っている。