こんにちは。あこぽんです。
ハンドボール男子日本代表チームに驚異の新星が現れて、注目を集めています。
史上初の高校生で日本代表入りし、
若干20歳でチームのエースを務める
部井久アダム勇樹選手です!
ずば抜けた身体能力の高さや
ハンドボールの実力は、
世界のチームも注目するほどなんです。
一体どんな方なんでしょう?
そこで今回は、部井久アダム勇樹選手について見ていこうと思います。
・両親や兄弟など家族はどんな方なのか
・大学と海外留学など現在の活動状況
これらについてまとめます。
それでは見ていきましょう!
目次
部井久アダム勇樹選手(ハンドボール)のプロフィールと生い立ち
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名前:部井久 アダム 勇樹(べいぐ あだむ ゆうき)
出身地:福岡県博多区
生年月日:1999年4月21日
年齢:20歳(2019年9月現在)
身長:195cm
体重:100kg
大学:中央大学
所属:フランスのセットソン・レンヌ・メトロポールHB
部井久アダム勇樹選手は、
パキスタン人の父と日本人の母とのあいだに生まれました。
福岡県博多区で生まれ育ち、
小さい頃から運動神経は抜群でどんなスポーツも得意でした。
当時から身長が高く、
小学1年生の頃にはすでに身長136cmという大きさだったそうです!
ちなみに小学1年生の男の
平均身長は、114.8cmなので、
20cmほど大きかったことになります。
いかに恵まれた体格だったか分かりますよね。
その体格を生かし、
小学生のときはソフトボールをプレーし、
4番キャッチャーをやっていました。
当時の夢はプロ野球選手になることで、
『地元福岡のソフトバンクオークスの4番バッターになる』と決めていたそうですよ。
ソフトボールをやったことで肩も強化されたんですね。
ハンドボールを始めたきっかけは?出身高校はどこだった?
小学生の頃に活躍したソフトボールの道には進まず、
ハンドボール選手になった部井久さんですが、
何かきっかけがあったのか気になりますよね。
部井久選手は小学5年生のときから
”福岡県タレント発掘事業”という、
将来のオリンピックを育てるプロジェクトに参加していました。
小中学生を対象に未来のオリンピック選手を
発掘強化するプロジェクトで、
個々の運動能力を伸ばす目的があり、
能力に応じた競技種目に導くカリキュラムが組まれている。
その当時2万人超の子ども達が受け、
最終的に合格したのは20人ほどだったそう。
そこで選ばれた子どもが色んなスポーツをやってみて、
自分に何が向いているのかを見つけていくんだそうです。
そこで部井久選手は、
ライフル射撃や、高飛び込み、重量挙げ、レスリング、空手‥など
色んな種目にチャレンジしました。
そのうちの7競技で最高ランクのS評価を獲得した
という驚異の結果を残しています。
いくつか挑戦したなかで、
一番楽しめて本当にやりたいと思えたのが
ハンドボールだったそうです。
そして当時のコーチの先生に背中を押される
ある一言をかけられたことが決定打となりました。
その言葉とは‥
「ハンドボールやったら絶対に日本代表になれるよ。」
その言葉が部井久選手の心に大きく響いたんだそうです。
小学生の頃からオリンピックに強い憧れがあり、
オリンピックに出るためには代表選手になる必要がある。
その夢を叶えるべく、
まだハンドボールを始めたばかりの頃から
将来 日本代表選手になることを
ずっと頭で思い描いていたんですって。
自分に向いてるスポーツを探して、オリンピック選手になる。
という一般的な流れとは逆だったんだね。
その流れで本格的にハンドボールを始めたのは
中学生になった頃でした。
そして高校はハンドボール部が創部されたばかりの
博多高校へ進学します。
高校3年生の18歳のときにはコーチの言葉通り、
史上最年少で日本代表に選ばれました。
現在は中央大学に在籍しながらフランスに留学中!
現在 部井久選手は中央大学に在籍しながら
ハンドボール界世界最高峰のフランスの1部リーグでプレーしています。
しかし、これほどの才能を持つ部井久選手でも
世界の壁にぶつかっているそうです。
フランスでは部井久選手ほどの
身長やパワーを持った選手はたくさんおり、
「自分がディフェンスをかわしても、
そのあとのカバーが早く、
この後にどこにパスを出すのが一番良い選択なのか?
シュートなのかパスなのか?」
一つひとつのプレーの正確に判断することを学んでいるそう。
さらなるパワーアップを期待したいですね。
両親(父・母)の国籍はどこ?兄弟はどんな人?
部井久アダム勇樹選手のお父さんのイルファンさんは
パキスタン出身で元クリケットのトップ選手でした。
そしてお母さんは、日本人の都子さんです。
部井久選手は、姉と妹2人の4人きょうだいの
2番目の子ども(長男)としてすくすく育ちました。
お父さんのDNAを受け継いだ部井久選手は、
小さい頃からどんなスポーツでもできたそうです。
しかし、小さい頃は体が細かったので、
母都子さんは体づくりを意識した食事を作って
協力してくれたのだとか。
なんと高校のときの1日に食べるお米の量は4合だったんですって!
学校のお弁当は縦17cm×横24cmの
巨大弁当箱を持参し、
カレーをかけて大量のご飯を流し込んでいたそうです!!
母親特製弁当のおかげで、高校3年間で体重は13キロほど増量したそうです!
家族の協力があってこそ、今の部井久選手があるんですね。
そもそもハンドボールってどんなスポーツ?
ちょっとここでハンドボールのルールを見ていきたいと思います!
ハンドボールは1チーム7人制です。
前後半それぞれ30分でゴールした得点で勝敗を決めます。
シュートはどこから決めても1点ですが、
ゴールから6m離れたラインの外側から打たなくてはいけません。
また、ドリブルをせずにボールを持てるのは3歩まで。
1人でボールを持てるおは3秒まで。
と決まっており、
スピーディーな試合展開が見ものなスポーツです。
空中の格闘技と言われる激しいハンドボールは、
体が大きくて強いことがそれだけで武器になります。
部井久アダム勇樹選手の得意技
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部井久選手が一番得意とするのはジャンプシュートです。
ジャンプシュートの速さは、なんと球速130キロになります!
日本代表選手の平均球速が100~110キロなので
いかに凄い武器なのか分かりますよね!
その豪快なジャンプシュートは、周りからアダムキャノンなんて呼ばれています。
そのシュートを生み出せる秘訣は柔軟性の高さだそうで、
部井久選手は肩周りと肘が柔らかいので、
仁王立ちの姿勢を取ったときに肘が後ろの内側まで届くほどです。
その腕にしなりを利かせてシュートが打てることが強みなんだそうです。
また、ジャンプシュートを打つときの高さですが、
最高到達点は3m以上です。
高身長も手伝って、
より高い位置からジャンプシュートが打てるんですね。
高い位置からシュートを打つことで、
ゴールキーパーの目線は上がり、
足元が見えにくくなります。
実際の試合でも、
ゴールキーパーの足元を狙ったシュートが決まっています。
2018年の19歳で出場したアジア選手権では、
チーム最多8得点を挙げるなど大活躍を見せました。
まさに日本代表をけん引する活躍ぶりです!
まとめ
フランスリーグで修行することで
今後テクニックも増えるでしょうし、
部井久選手のこれからの伸びしろが楽しみですよね。
今回、ハンドボール男子日本代表チームは
32年ぶりにオリンピック出場を決めましたし、
強豪ドイツ代表の監督だった
ダグル・シグルドソン監督が就任したことで、
チーム力が上がって来ているので期待度はマックスです!
今後の部井久選手のさらなる活躍に注目しましょう!