『となりのトトロ』のおばあちゃん役の声優と言えば、大女優の北林谷栄さんです。
”日本一のおばあちゃん女優” と業界から称賛されるほどで、テレビで耳心地の良いおばあちゃんの声を聞くとほっこりした気分になりますよね。
そんな北林谷栄さんですが、舞台に立っていた20代の頃はその美貌にメロメロになるお客さんもいたそうです。
どんなお顔だったのか気になりますよね。
そこで今回は、北林谷栄さんの若い頃や出演作品などのすべてを見て行こうと思います。
- 北林谷栄さんのプロフィールと経歴
- 若い頃の顔画像と過去の出演作品
- 結婚歴と夫について
- 娘と息子さんはどんな人か
これらについてまとめます!
目次
【北林谷栄さんのプロフィールと経歴】生い立ちは?
『となりのトトロ』でおばあちゃんの声を担当する北林谷栄は、30代から多くの老け役を演じた「日本一のおばあちゃん女優」。
北林さんが主演の映画では、岡本喜八監督の『大誘拐』(1991年)がオススメ。無茶苦茶面白いサスペンス・コメディです。ちなみに、岡本監督は『シン・ゴジラ』にも出演。 pic.twitter.com/ijwl7xsIZN
— 中井寛一 (@ichikawakon) August 14, 2020
名前:北林 谷栄
本名:安藤 令子
出身地:東京都中央区
生年月日:1911年5月21日
没年月日: 2010年4月27日(98歳没)
血液型:A型
身長:161cm
最終学歴:山脇高等女学校
職業:女優、声優
趣味:タップダンス
北林谷栄さんは、1911年5月に東京市京橋区竹川町(現在の東京都中央区銀座)の洋酒問屋『大野屋』の娘として生まれました。
赤レンガ街で育って華やかな生い立ちでしたが、当時12歳だった大正12年の関東大震災で生家が焼失してしまいます。
高校は東京都港区赤坂にある山脇高等女学校に通っていましたが、肺結核の初期症状を発症してしまい、田園調布にある母方の叔父の家で療養生活を送っていました。
そのなかで円本を読み漁ったり、築地座の舞台を観るうちに演劇に惹かれ、新劇女優を志すようになります。
1929年に高校を卒業後に創作座に入団して、1935年には初舞台の『温室村』で主役を務めました。
北林谷栄さんは舞台袖から観客席を見たら急に緊張してしまい、「今帰ったら大変なことになりますか?」と舞台監督に聞いて、「バカヤロウ」と思い切り喝を入れられたこともあったそうです。
しかし怒鳴られてから目が覚めて、まるでスイッチが入ったように堂々と舞台に立てたそうです。
もともと女優の気質を持っていたんでしょうね。
1942年の31歳の頃には、俳優仲間で移動劇団『瑞穂劇団』を結成して、舞台『左義長まつり』で初めておばあちゃん役を演じて評判となりました。
その後も老け役を得意として、30代後半では既に「老女役と言えば北林」と評価されるほど、『日本一のおばあちゃん役』として誰もが知る存在に。
1959年に公開された映画『キクとイサム』では、よりおばあちゃん感を出すために前歯を6本抜いたそうです。
◆名女優・北林谷栄さん◆
『わが町』(1956)
『炎上』(1958)
『キクとイサム』(1959)
『鍵』(1959)
☆5月21日は北林さんのご生誕日です。 pic.twitter.com/JkElcn5Ii0— Jack a Daddy (@Jack_A_Daddy1) May 21, 2022
役作りのために体重を増減させたり、ホラー映画に出演するためにまつ毛を抜いたりする俳優さんもいると聞いたことがありますが、いくら仕事のためと言えど健康な前歯を6本も抜いてしまうとは常人では考えが及びません。
”プロ意識が高い” という言葉では語れないほどの仕事に対する真剣な姿勢には感服しました。
また、声優でもアニメ映画『となりのトトロ』では、カンタのおばあちゃん役を務めています。
独り言#同じ声優でキャラ二人晒せ
北林谷栄さん(1911年-2010年)
・マレフィセント(眠れる森の美女)
・カンタのおばあちゃん(となりのトトロ)素晴らしい女優さんでした. pic.twitter.com/xQAca7o9vB
— ダン・アンドロイド (@Dan_Android_st) August 14, 2020
宮崎監督はおばあちゃんの声を低い喋り方でイメージしていたが、役を演じた北林谷栄さんがアフレコ当日に「高い声でやってみたい」と言い出し、実際に演じてもらったら「面白いね!」と監督も気に入ったものの、喋るスピードが合わなくなったため絵の方を描き直したらしい。 #となりのトトロ pic.twitter.com/Z9g04yIrwT
— タイプ・あ~る (@hitasuraeiga) August 19, 2022
行方不明になってしまっためいちゃんのことを「め~いちゃーん!」と大声で呼ぶ声は、いつでも思い出せるくらい印象的ですよね。
他にもディズニー作品の『白雪姫』では老婆役、『シンデレラ』では継母役の声優も務めたりと、プロおばあちゃんで評判でした。
平成元年には脳動脈瘤破裂で倒れるも、その後もおばあちゃん役で復帰し数々の賞を受賞。
69歳にして半年間イギリスに演劇留学するなど精力的に活動していましたが、2003年に公演された舞台「北林谷栄の世界『蓮以子 93になった』」の出演を最後に、事実上の芸能界引退となりました。
そして2010年4月27日に肺炎のため満98歳でお亡くなりになりました。
北林谷栄さんは、おばあちゃん役に徹した女優歴だったんですね。
【画像】北林谷栄の若い頃が美人!過去の出演作品は?
おばあちゃんキャラが持ち味の北林谷栄さんですが、20代で舞台に出演していた頃は老女とは程遠い美しい容姿で評判だったそうです。
その当時の画像がこちらになります!
彫りが深くて目鼻立ちのはっきりした美しい女性ですよね。見る人によってはハーフのようにも見える整ったお顔立ちです。
これほど美人だと相当モテたのではないかと思います!
そんな若い頃の北林谷栄さんの代表作をご紹介していきます。
舞台『どん底』
コダマプレス社『AAA』第3号(昭和35年3月)の誌上立体公演(ソノシート)は、劇団民藝「どん底」と俳優座「牡丹記」の豪華2本立て。前者には滝沢修、宇野重吉、清水将夫、北林谷栄らの台詞入り。後者は東野英治郎の語りがたっぷりと。こんな夢の聴くメンタリー雑誌が、わずか数号で廃刊とは。 pic.twitter.com/q3AqyMvcoR
— 濱田研吾 (@hamabin1) February 28, 2017
1つ目は1936年9月に公演された舞台『どん底』です。
舞台『どん底』は、1902年にロシアの作家であるマクシム・ゴーリキーによって作られた劇作品で、日本では1910年からこれまでに何度も様々な劇団が舞台化されています。
『どん底』は、働きたくてもまともな仕事がない。お金もない。
人間らしい生活をしたくてもなかなか抜け出せず苦しい思いをしながらも、底辺を生きる人たちの姿が描かれています。
その中で、当時25歳だった北林谷栄さんは劇団での初舞台でナスチャ役を演じて注目を集めました。
映画『ビルマの竪琴』
『ビルマの竪琴』は1956年も1985年も北林谷栄さんが凄いらしい。#劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい・・・みたいな事を言って下さい pic.twitter.com/DEWohY1tME
— ユーセ コーイチ (@ko_iti30) February 12, 2022
2つ目は1956年1月に公開された映画『ビルマの竪琴』です。
第二次世界大戦でのビルマを舞台とした、日本兵をモデルとする児童向けの小説が映画化されました。
当時45歳だった北林谷栄さんは、関西弁を話す物売りの老婆役で出演していました。
ハマり役と評判になり、1985年にリメイクされた『ビルマの竪琴』でも同じ役で出演しています。
映画『キクとイサム』
すさまじい。「女優さんでは、北林谷栄さんです。…『キクとイサム』の老婆を演じる為に前歯を全部抜かれてしまわれたという話は有名です」(今井ツヤ『夫 今井正』)
当時北林47、8歳、70手前の老婆を演じてそうとしか見えない。この老婆の老け具合がまたすごくて終戦直後の日本の貧しさを実感させる。 pic.twitter.com/6YS1TyrS6b— 栗原裕一郎 (@y_kurihara) October 31, 2021
3つ目は1959年3月に公開された映画『キクとイサム』です。
福島県の農村を舞台に、ハーフの姉弟が差別を受けながらも明るく生きる姿を描いた社会派映画になります。
その中で北林谷栄さんは2人を育てる祖母・しげ子婆さんを演じるにあたり、当時48歳だった北林谷栄さんの倍の年齢の役柄だったこともあって前歯を6本抜いて役作りをされました。
その演技力は高く評価されて『第10回ブルーリボン賞主演女優賞』『第14回毎日映画コンクール女優主演賞』を受賞しています。
若い頃と言っても、すでに30代でおばあちゃん役デビューされているので、出演作はほとんどがおばあちゃんでした。
【北林谷栄さんの結婚歴】夫との離婚理由は?
今日は北林谷栄さん誕生日。戦前は新劇の実力派、戦後は日本最高峰のお婆ちゃん役で数多くの映画に登場。「TVでは綺麗なお婆さんだが映画では汚な目だった」という父の証言は後年「にあんちゃん」「キクとイサム」「鍵」等で確認しました。晩年(っていつだ)に堂々主役を張った「大誘拐」は至高です。 pic.twitter.com/O155Hlgtge
— 阿乱隅氏 (@yoiinago417) May 20, 2022
北林谷栄さんは、1945年の当時34歳の時に画家の河原冬蔵さんと結婚されています。
河原冬蔵さんについて調べてみましたが、ウィキペディアもなく、顔画像などの個人的な情報もないことから、そこまで有名な画家ではなかったのかもしれません。
1994年11月には、揃って3冊の本を出版されています。
昔の歌集を集めたものや、モロッコ、イタリア、インドなどを旅する歌人がその旅情を詠んだ歌集だったり、韓国、バリ島、スリランカ、カナダなど世界各国を旅行し、河原冬蔵さん自身がそれぞれの国で見たこと、感じたことを綴った本もあるようです。
世界各国を旅するような好奇心旺盛な方だったようですね。
河原冬蔵さんとは一男一女をもうけましたが、その後に離婚されています。
娘さんについては幼い頃に不慮の事故で亡くなっていて、その後に夫婦は離婚していることから、娘さんが亡くなったことが関係して離婚してしまったのではと言われてます。
しかし詳細は公表されていないので、本当の離婚理由は分かりません。
北林谷栄さんの夫・河原冬蔵さんがどのような人物だったかは想像が付きませんが、息子さんは河原冬蔵さんと同じ画家として活動しているようです。
父親と同じ職業を選んでいるということは、子どもにとっては素敵なお父さんだったのかもしれませんね。
北林谷栄さんの娘と息子の現在は?
「大誘拐」の北林谷栄さんて、田嶋陽子さんの「女の大老境」でそのお人柄や生き様を知ったけど、すっごくフェミニストでかっこいいんだよな〜。トトロのおばあちゃんの声されてるって昨日知った!! pic.twitter.com/bp78A8shCY
— 柚木麻子 (@W7u8NXx595mJBux) August 10, 2021
北林谷栄さんは1945年の当時34歳の時に画家の河原冬蔵さんと結婚され、2人の間には一男一女が誕生しています。
しかし、娘さんは幼い頃に北林谷栄さんが仕事で地方に出かけている間に火傷で不慮の死を遂げたそうです。
火傷で亡くなってしまうということは、何らの理由で体のほとんどに火傷を負ってしまったのでしょうか。
火傷が原因で亡くなる事例を調べてみたところ、火災による事故が大半を占めているそうです。
仕事中に子どもが亡くなってしまうなんて、想像もつかないほどの苦悩があったと思います。母親として自分を責めてしまいそうです…。
しかし、それでも舞台に立ち続けた北林谷栄さんはまさに女優魂ですね。
北林谷栄さんの長男は河原朝生といい、画家として活動されています。
1949年に誕生しているので、現在は73歳になります。
河原朝生(1949〜) 女優・北林谷栄の息子。文化学院美術科で学ぶ。渡伊、ローマ国立美術学校で学ぶ。帰国後、個展を重ねる。無所属。イタリア時代にデ・キリコらの形而上絵画に影響を受け、静謐感をたたえた奥行きの深い世界を描き続ける。 pic.twitter.com/R1am7DhyFr
— 市井の人 (@Ai_Mitsu1907) September 21, 2022
東京都の目白で生まれ、 1969年の当時20歳から坪内正絵画教室で素描と油彩画を学び始めます。
父・河原冬蔵さんから影響を受けたのでしょう。
1970年の4月には、かつて東京お茶の水にあった文化学院美術科に入学します。
そして1972年にはイタリアに渡り、ローマ国立美術学校で油彩画を学び、1977年に最初の個展をローマのイル・テット画廊で開催しました。
その後も1、2年毎には日本や海外で個展を開催し、現在も精力的に個展を開いたり活動されているようです。
北林谷栄さんの息子さんはしっかりと父親の才能を受け継いだ、国内外で活躍する画家なんですね。