堀越二郎と菜穂子の年齢差は何歳?その後(最後)はどこへ行ったの?

堀越二郎と須磨子

ジブリ映画『風立ちぬ』の主人公の堀越二郎と菜穂子は初めて出会ってから10年後に再会して、お互いに惹かれ合い、結婚することになります。

映画を見て気になったんですけど、

堀越二郎と菜穂子が初めて電車で出会ったときって、二郎はもう成人している様子でしたが、菜穂子はまだ子どもの頃だったんですよね。

それから何年か経って再会したときには、2人とも立派な大人になっていましたけど、2人の年齢差って一体何歳だったんでしょう?

 

そこで今回は、堀越二郎と菜穂子の年齢差と、2人の馴れ初めについて見て行きたいと思います。

 

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堀越二郎と菜穂子の年齢差は何歳?

『風立ちぬ』のパンフレットに掲載されている年表によると、堀越二郎と菜穂子の年齢差は7歳差です。

初登場のときは菜穂子はまだ子どもで、もう少し齢が離れているように見えましたので、ちょっと意外でしたね。

 

ちなみに堀越二郎は実在した人物ですが、菜穂子は小説『風立ちぬ』の原作者である堀辰雄の元妻の矢野綾子さんがモデルになったとされています。

矢野綾子さんは1910年に誕生し、1934年に24歳で結婚しています。

しかし翌年に25歳の若さで肺結核で亡くなっています。

 

堀越二郎と菜穂子が結婚した年と亡くなった年は、実際のモデルと同じ時系列となっています。

堀越二郎は、ご本人と小説家の堀辰雄さんの2人がモデルとなっていると言われていますが、どうやら菜穂子のエピソードは堀辰雄さん自身の実体験が元となって描かれているようです。

 

では、実際の堀越二郎さんの奥さんはどんな人だったの?という点は、こちらで詳しく書いています↓

堀越二郎と須磨子

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2021.08.27

 

堀越二郎と菜穂子との馴れ初め

ここからは物語での、堀越二郎と菜穂子の馴れ初めについて見て行きます。

 

初めて2人が出会ったのは、1923年(大正12年)9月の二郎が20歳の大学生の頃で菜穂子は13歳でした。

東京へ向かう列車の中での出来事です。

列車の入口に腰掛けて読書をしていたら、二郎の帽子が風に飛ばされそうになったところをたまたま隣の車両にいた菜穂子がキャッチ。

2人は運命を感じるも、そのまま別れてしまいます。

 

列車が目的地に到着する頃、急に大地震が襲い、二郎達が乗ってる列車も被災。

関東大震災で町中の建物が崩壊し、住民達はパニックに陥ります。

 

列車から急いで避難する乗客にまじって、二郎は菜穂子とお世話係の絹が苦しそうに座り込んでいるのをも見つけます。

絹は足を骨折して動けなくなっているところを、二郎が応急手当を施し、絹をおんぶして無事に菜穂子も一緒に上野の自宅まで送り届けました。

二郎は名前を聞かれましたが、名乗らずその場を後にしました。

 

まだ若干13歳の菜穂子は、緊急事態のなかでも取り乱すことなく、冷静に荷物を運び二郎のサポートをして、年齢の割にしっかりしているように思いました。

 

10年後に軽井沢で再会

1933年夏に、堀越二郎は軽井沢へ訪れていました。

ホテルで休暇を取っていた二郎は、軽井沢の大自然のなかを散歩していると、丘の上で油絵を描いてる菜穂子の姿を見かけます。

これはまさに運命の再会だったのですが、まだこの時、関東大震災のときに出会った菜穂子だとは気づいていません。

 

風で菜穂子のパラソルが飛ばされたのを、今度は二郎がキャッチしてそれを父親に渡し、その場を去って行きました。

そしてホテルのレストランで顔を合わせた2人は、目を輝かせて会釈をしました。

恋の始まりですね…!

 

翌日、川沿いを散歩していたら、二郎と菜穂子は再会します。

菜穂子は泉に向かって、もう一度二郎がここへ来てくれるようお願いをしていたところを運命的な再会を果たしたのです。

ここで菜穂子がお礼を言います。

菜穂子
あの頃と全然変わっていませんね。震災のときはありがとうございました。

二郎はあのときに助けた菜穂子がここにいると気づくことになります。

運命的な出会いに、こちらも胸キュンしてしまいますよね。

 

2人は交流していくうちに、お互いに惹かれ合っていきます。

 

そしてついにレストランで、菜穂子の父親に結婚を前提に付き合うことを宣言しました。

しかし菜穂子は結核という重い病にかかっていました。

病気を患っていることを打ち明けましたが、二郎の菜穂子に対する愛情は変わらず、2人は婚約することになりました。

菜穂子は結核を早く治すために八ヶ岳の高原病院に入り、二郎と文通をして愛を育んでいきました。

 

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結婚することにした堀越二郎と菜穂子

ある日、二郎から届いた手紙を読んだ菜穂子は、二郎のことが恋しくなり、高原病院を抜け出して、名古屋で働く二郎に会いに行きます。

 

病状が思わしくないなか、自分に会いに来ていることを知った二郎は、急いで駅まで迎えに行き、菜穂子を強く抱きしめて、これからの残された時間を2人で過ごすことを決意しました。

上司の黒川さんに仲人を依頼して、ささやかな結婚式を挙げる2人。

2人は晴れて夫婦となり、一緒に過ごせる時間を大切にしていました。

仕事を持ち込んで、深夜まで作業する二郎をあたたかく支える菜穂子。

菜穂子は病に侵されていましたが、幸せに満ち溢れているように見えました。

 

堀越二郎が食べてたシベリアはこちら>>シベリア

菜穂子のその後(最期)はどこへ行ったの?結核で亡くなった?

その後、飛行機作りがいよいよ完成を迎える二郎は飛行場へ向かいます。

一方で、黒川家で待つ菜穂子は「今日は調子が良いのでお散歩に行ってきます。」と奥さんに伝え、身支度をして出かけて行きます。

 

そこへ二郎の妹の加代が訪ねてきました。

しばらくしても菜穂子が帰ってこないので、部屋を覗いてみると、テーブルには置手紙が置かれていました。

部屋はもぬけの殻になっており、菜穂子は自分の最期が近いことを悟って、苦しむ姿を二郎に見せないように山の病院に戻ることにしたのです。

容態が思わしくないことを知っていた二郎の妹の堀越加代は、涙を流して菜穂子を連れ戻しに行こうとしますが、黒川の奥さんは菜穂子の気持ちに胸打たれ、「もうそうっとしておいてあげましょう。」と話します。

菜穂子の最期には諸説ありますが、物語の流れだと”高原病院に戻った”というのが正しいようです。

 

そして1945年の二郎が42歳の頃、二郎と菜穂子は夢の中で再会します。

風の強い草原の中で

「あなた生きて」

と勇気づけられ、

あまり感情を出さない二郎がかすれた声で「ありがとう…ありがとう!」と言うシーンは泣けます。

作品のキャッチコピーである『生きねば。』に込められたメッセージはここにあったんですね。

 

 

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