旭輝子の若い頃が神田沙也加に似てる!夫とは未婚?死因の病名についても

旭輝子

《本記事はプロモーションが含まれています。》

神田正輝さんの母親は、昭和の名女優 旭輝子さんです。

神田沙也加さんの祖母にあたる人ですね。

2021年12月に沙也加さんが突然亡くなったことで、旭輝子さんの当時の活躍ぶりを思い出している方も多いようです。

うつくしい美貌と歌唱力を武器に、宝塚音楽歌劇学校に合格するほどの逸材だったそうで、今までどんな人生を送ってこられたのか気になりました。

 

そこで今回は、旭輝子さんについて見て行きたいと思います。

  • 旭輝子さんのプロフィールと経歴
  • 旭輝子さんと神田沙也加さんが似ているか画像比較
  • 旭輝子さんの夫について
  • 旭輝子さんの死因の病名

これらについてまとめます!

 

 

Sponsored Links

旭輝子さんのプロフィールと経歴

旭輝子

芸名:旭 輝子(あさひ てるこ)
本名:杉 輝子

出身地:東京都台東区
生年月日:1924年10月30日
没年月日:2001年12月31日

没年齢:77歳
職業:女優

 

旭輝子さんは神田正輝さんの実母であり、神田沙也加さんの祖母にあたる人です。

1924年 東京都台東区浅草に生まれましたが、4歳の頃に父の三国象之助さんが病気のため亡くなり、母の貞子さんは医師の杉彰純さんと再婚します。

輝子さんは、実母と再婚相手の父の元で育てられました。

 

旭輝子さんが小学生の頃に、世間では少女歌劇が大ブームを迎えていました。

宝塚と松竹、大阪松竹には、全国から入学志願者が殺到!

女子生徒には体重測定や歌唱試験など、厳しい審査が課せられました。

 

1937年の実践女学校(今の実践女子学園中学校)時代に、輝子さんは宝塚音楽歌劇学校を受験して見事合格しますが、東京の自宅から通うことができず入学を諦めた経緯があります。

くまきちくん
えっ…せっかく合格したのに…
パン子さん
当時はまだ寮が無かったから、13歳だと一人暮らしは難しかったのかも。

 

しかし、その翌年の1938年に都内の松竹少女歌劇学校に合格したため、実践女学校を中退します。

合格者は狭き門となっており、まさに選ばれし者だけが入学できたそうですよ。

旭輝子さんは、当時から試験監督の目に留まるような光り輝く才能を持っていたんでしょうね。

 

入学翌年の1939年には、松竹少女歌劇団の6回生として、またエノケン劇団に入団して娘役を務め、映画やドラマ、舞台などで幅広く活躍しました。

1947年には松竹少女歌劇団を退団して、1948年には『唄まつり百万両』で映画デビューを果たしてます。

旭輝子さんの主な出演作品はこちらです。

【映画】

  • 唄まつり百万両(1948年)
  • 歌ふエノケン捕物帖(1948年)
  • エノケン・大河内の旅姿人気男(1949年)
  • エノケン・笠置の極楽夫婦(1949年)
  • エノケンのとび助冒険旅行(1949年)
  • 飛びっちょ判官(1952年)
  • びっくり六兵衛(1953年)
  • 恋人のいる街(1953年)
  • 初笑い底抜け旅日記(1955年)
  • 冠婚葬祭入門・新婚心得の巻(1971年)

 

【舞台】

  • パノラマ島奇談(1965年)
  • 江利チエミ特別公演 昔の恋の物語「じゃがたらお春」(1969年、1970年)
  • 朝丘雪路連続七回出演記念(恋ごよみ)おさん茂兵衛 秋に競う雪路まつり(1994年)

 

【ドラマ】

  • とんだ忠臣蔵(1953年)
  • てんてん娘(1956年)
  • 金四郎江戸桜(1957年)
  • あの波の果てまで(1959年)
  • 大菩薩峠(1961年)
  • テレビ指定席 / 流人天国(1961年)
  • ナショナル ゴールデン・アワー / 松本清張シリーズ・黒い断層「氷雨」(1961年)
  • 花の生涯(1963年)
  • 丹下左膳(1963年)
  • 細うで繁盛記(1970年)
  • 特別機動捜査隊 第480話「砕けた赤いダイヤ」(1971年)
  • 遠山の金さん捕物帳 第35話「蒸発した女」(1971年) – おあき
  • アイフル大作戦 第17話「美女の顔 紛失事件」(1973年)
  • 水戸黄門 第4部 第31話「仇討無用-日光-」(1973年) – 小浪
  • バーディ大作戦 第48話「必殺!ママに捧げる犯罪」(1975年) – 秋山久代
  • 契りきぬ(1976年)

引用:Wikipedia

 

 

【画像】旭輝子さんの若い頃が神田沙也加さん似てる!

旭輝子さんと孫の神田沙也加さんは、お顔がそっくりだと話題になってます。

そこで旭輝子さんの若い頃の写真を探してみたところ、23歳の頃の画像がありました。

 

こちらは、戦後の1947年に上演された松竹歌劇『夏のおどり』の写真です。

↑左手前の白いドレスを着て、しゃがんでいるのが旭輝子さんです。

目鼻立ちの整った美しいお顔立ちで、にっこりと優しく微笑む姿に魅了されそうですね。

遠巻きでも、孫娘の神田沙也加さんに似ているのがよく分かります。

 

写真を拡大して、沙也加さんの写真と並べてみました。

旭輝子

顔の輪郭や頬の形がウリふたつで、鼻筋が通っていて鼻先が尖っているのも同じですね。

目と目の間が離れているのも似てる気がしますね?

パン子さん
聖子さんと沙也加さんが並んだ画像を見たら、鼻の形は聖子さん似なのかなと思ってたけど、神田正輝さんの血筋の方かな?

全体像が似ていると、そっくりなように見えますね。

 

Twitterでも「旭輝子さんと神田沙也加さんが似てる」という意見が見られました。

旭輝子さんをよく知る人によると、やはり2人はそっくりなようです。

沙也加さんの美しい歌声や演技は、旭輝子さんと松田聖子さんから譲り受けたものなんですね。

美貌と才能を持ち合わせながら、努力家で真面目な性格なのも親や祖父母譲りなんでしょうか。

 

Sponsored Links

旭輝子さんは夫・神田正次さんとは未婚で愛人だった?

旭輝子さんは1949年の25歳のときに、10歳年上の石油販売会社の御曹司である神田正次さんの妾(愛人)となりました。

時期的には、輝子さんが松竹少女歌劇団を退団して映画に出演し始めた頃ですね。

 

神田正次さんはすでに妻子持ちだったため、旭輝子さんは未婚の妻でした。

当時は、地位ある男性が妻以外の女性を愛人として、経済的援助をおこなうことは珍しくなかったそうです。

そして愛人となった翌年の1950年12月に神田正輝さんが誕生しています。

神田正次さんは、最後まで旭輝子さんとは結婚しなかったと言われてます。

 

↑上の画像を見ると、神田正輝さんは父親似だと分かりますね。どこか哀愁漂う雰囲気もそっくり!

 

旭輝子さんの死因の病名は?

旭輝子さんは2001年12月31日に心不全のため、享年77歳でお亡くなりになりました。

翌年の2002年1月4日に、密葬という形で葬儀が執り行われました。

葬儀には、神田正輝さんの元妻の松田聖子さんと神田沙也加さんも参列。

 

聖子さんは、義母の輝子さんの死にショックを受け、足元がおぼつかないほど憔悴しきっていたそうです。

お焼香の際には、神田正輝さんが聖子さんに寄り添う姿も見られました。

 

当時のニュースで、葬儀で離婚した夫妻が揃って、その2人に挟まれて手をつないで、嬉しそうにする沙也加さんの姿が思い出されるというツイートを見かけました。

旭輝子さんと神田沙也加さんは天国で再会できたんでしょうか。

神田沙也加さんのご冥福を心よりお祈りします。

 

 

スポンサーリンク
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA