橋本田鶴子は青森出身で年齢は?死因の病気と六本木のバーの場所はどこ?

橋本田鶴子

《本記事はプロモーションが含まれています。》

アントニオ猪木さんは、今までに4度の結婚歴があり4人の奥さんがいました。

そのすべての奥さんと離婚や死別をしてしまうのですが、今回はアントニオ猪木さんの4人目の妻である橋本田鶴子(たづこ)さんについてまとめていきたいと思います。

橋本田鶴子さんはアントニオ猪木さんの妻であり、ビジネスパートナーの期間も含めると20年ほど一緒に過ごしました。

一体どこでどうやって出会ったのか、橋本さんのプロフィールとあわせて見て行きたいと思います。

  • 橋本田鶴子さんのプロフィール
  • 橋本田鶴子さんが経営していた六本木のバーの場所
  • 橋本さんの死因
  • 夫婦の馴れ初めについて

これらについてまとめていきます。

 

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橋本田鶴子(たづこ)さんは青森県出身?年齢や生い立ちは?

名前:橋本 田鶴子(たづこ)
本名:猪木 田鶴子(たづこ)
ニックネーム:ズッコ

生年月日:1957年生まれ
没年:62歳(2019年8月27日)
最終学歴:日本大学芸術学部写真学科 卒業

橋本田鶴子さんの実家は、父が医者で母が看護師という医療一家で育ちました。

アントニオ猪木さんは糖尿病を患っていたので、栄養や体調面について義両親からよくアドバイスをもらっていたそうです。

 

橋本田鶴子さんについて調べていると『青森』というキーワードが出てくるため、青森県出身なのかと思いましたが、実はそうではなく、アントニオ猪木さんがリハビリをするために青森県十和田市の温泉によく出向いていたそうです。

田鶴子さんも生前はよく同行したことから、橋本田鶴子さんと青森がセットで検索されているようです。

 

橋本田鶴子さんは、日本大学芸術学部写真学科を卒業後に、民放テレビ局の関連会社でスチールカメラマンとして働いていました。

1990年代後半から猪木さんの写真を担当されており、2001年には写真集『人生のHomeLess』を出版しています。

そして2011年~2013年までは、参議院議員として活動していた猪木さんの公設秘書を務めており、その後は猪木さんが社長を務めるマネージメント会社『コーラルゼット』の副社長を務め、専属カメラマンとして活動していました。

 

当時、アントニオ猪木さんは3人目の奥さんである戸倉尚美さんとお子さんの3人でアメリカで生活を送っていましたが、日本で仕事があるときは帰国していました。

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帰国したときには、橋本田鶴子さんが経営する六本木のバーに顔を出して夜中まで一緒に飲んで、港区の高級マンションに消えていったとスクープされています。

日本にいる時は週3でお店に通うくらいハマっていたそうで、高級ワインのロマネ・コンティを気前良くプロレス仲間達に振舞っていたそうな。

そんな猪木さんの女性問題が判明したせいか、2012年に3人目の奥さんと離婚しています。

 

橋本田鶴子さんの六本木のバーの場所はどこ?

週刊誌でも話題になった、橋本田鶴子さんが経営していた六本木のバーは『ズッコ』と言います。

田鶴子さんのニックネームをそのまま店名にしたお店です。

【ズッコ】

所在地:東京都港区六本木6丁目7ー15 永和ビル

 

現在も営業しているのか調べてみましたが、Twitterやインスタ、Facebookではお店のアカウントはありませんでしたし、お客さんのつぶやきも見られませんでした。

Twitterでは、お店で働いていた従業員の女性のツイートがあったくらいです。

 

そもそもネット検索してもお店の評判などが出てこないので、常連客が多いお店なのかも?

今も誰かが継いで営業しているんでしょうか?

 

橋本田鶴子さんの死因の病気は?

2019年8月27日に、橋本田鶴子さんは享年62歳で亡くなりました。

死因は膵頭がん(膵臓がん)です。

世間には病気について公表していませんでしたが、2013年に膵頭がんが発覚してから、闘病期間は6年にも及びました。

アントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんが結婚されたのは2017年でしたが、ビジネスパートナーとなったのは1999年からです。

猪木さんが参議院議員の秘書時代には、すでにがんの治療を受けていたことになります。

 

しかし、橋本田鶴子さんは自分の病気のことはアントニオ猪木さんに言わなかったそうで、糖尿病の持病を抱えながら多忙な生活を送る猪木さんに心配をかけまいと、仕事をしながら独りで治療に励んでいました。

猪木さんの参議院議員時代には、北朝鮮やパキスタン、ヨーロッパ、ブラジルなどの外遊には必ずついて行った田鶴子さんは、病気のことを周りに話すと付き添いが出来なくなると思ったのかもしれません。

 

田鶴子さんは亡くなる2ヶ月前から体調を崩して入院していましたが、その間にもアントニオ猪木さん出演のソフトバンクのCM撮影の仕事を請け負って、病院から現場に出かけていたそうです。

くまきちくん
亡くなる直前まで仕事してたんだね…。

そのCMの画像がこちらです。

猪木さんが政界引退直後にCMに出演して、大きく話題になったのが印象的です。

 

その後、腰の手術のために長期入院した猪木さんは、夫婦で同じ病院で治療を受けていたそうです。

田鶴子さんが亡くなる直前は、真夏なのに寒がっていたそうで、夫婦で病院の庭で日光浴をしたのは今でも良い思い出になっているそうです。

そんな田鶴子さんですが、「自分に万が一のことがあっても仕事に穴を開けないで」と猪木さんに遺言を残していたと言います。

どんなときも夫ファーストだったことが伝わってくるエピソードですよね。

 

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橋本田鶴子さんとアントニオ猪木さんとの馴れ初めは?

橋本田鶴子さんとアントニオ猪木さんが出会ったのは、1998年4月のプロレスラーを引退する少し前のことでした。

引退記念に写真集を出すことになり、カメラマンだった橋本田鶴子さんにお願いしてパラオで撮影したのがきっかけとなり、猪木さんの専属カメラマンとなりました。

東京ドームでの引退試合では、猪木さんが控室で待機する姿も写真撮影をして、その密なやり取りのなかで信頼関係が生まれたのだとか。

 

3人目の奥さんと離婚したのが2012年で、その後2017年2月20のアントニオ猪木さんの誕生日に橋本田鶴子さんと正式に入籍しました。

猪木さんはプロレスラー時代は多忙で、巡業先のご当地グルメをゆっくり楽しむこともなかったそうですが、田鶴子さんと出会ってからは、仕事で出かけた先の津々浦々の美味しいお店に連れて行ってもらえるのがとても楽しかったそうです。

食通なところにも惹かれていたということですね!

 

橋本田鶴子さんは夫想いで、朝起きると夫の大柄な体を献身的にマッサージしたそうです。

それもご自身の仕事だと思って、一生懸命に猪木さんに尽くされたんですね。

素敵な奥様であり、最高のビジネスパートナーだったのが伝わってきますね。

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