2020年8月29日に安倍晋三首相が退陣を表明してから、すでに自民党内では次期首相は「菅義偉官房長官で決まり」というムードになっているようです。
年号が変わるときには新元号令和を発表したことから「令和おじさん」の愛称で呼ばれ、国民から親しまれているのではないかなと思います。
自民党総裁選への立候補を表明した菅義偉さんは、2020年9月3日の記者会見で「私は無派閥だ」と強調していました。
しかし当選するためには派閥の支援は不可欠ですよね。
そこで菅義偉さんを支援する派閥について解説したいと思います。
菅義偉首相は無派閥?菅さんを支持する派閥は?
総裁候補の好きな写真
①菅義偉さん
あんまりテレビでは見られませんが、笑顔はほんまにええおじいちゃんって感じすね( ˇωˇ ) 後ろにさりげなく飾られている『令和』の年号を掲げた写真。恐らく、誇りに思っているのだろう、と思います。 pic.twitter.com/noykndRZyX
— アマジャーナル (@amajaamajaaanal) September 3, 2020
菅義偉さんは過去の衆議院議員総選挙の頃などに、派閥に所属していたこともありました。
現在は派閥に所属はしていませんが、昨年に「令和の会」というグループを作り率いているようです。
党内10派閥のうち自民党総裁選挙への出馬の意向を、菅義偉さん以外では、岸田派から岸田文雄さん、石破派から石破茂氏さんが出馬の意向を明らかにしています。
そうしたなか 菅義偉さんには、細田派、麻生派、二階派、石原派、菅グループ(無派閥)が支持すると報道されています。
当初は竹下派は”誰も支持しない”としていましたが、9月2日の総会で菅さんを支持することを決定しました。
菅義偉さんを支持する5派閥の議員数を考えると、自民党の議員数の7割を超えることとなりそうです。
もしこのまま菅義偉さんが当選すると、無派閥での総理・総裁の誕生ということになります。
菅義偉さんは、会見の最後に「無派閥の私が出られるのも、皆さんのお陰です」おっしゃっていました。
最後まで誠意を忘れない真面目な方だということが伝わりますね。
『菅義偉首相のプロフィール&経歴』&横浜市会議員選挙戦の苦労話
【総裁選】菅義偉官房長官が出馬意向固めるhttps://t.co/zEYsahdDUk
自民党幹部は「菅氏が立候補する意向を固めたようだ」との見方を示した。新型コロナ対応など政策の継続性を重視し、立候補を求める声が高まっていた。 pic.twitter.com/Y7wiZUjpRZ
— ライブドアニュース (@livedoornews) August 30, 2020
名前:菅 義偉(すが よしひで)
出身地:秋田県雄勝郡(現・湯沢市)
生年月日:1948年12月6日
年齢:71歳(2020年8月現在)
身長:165cm
血液型:O型
選挙区:神奈川二区
菅義偉さんは いちご農家の長男として生まれ、父、母、姉2人、義偉さん、弟1人の6人家族でした。
地元の雄勝町立秋ノ宮小学校(現・湯沢市立雄勝小学校)を卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現・湯沢市立雄勝中学校)に進学しました。
中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学し、高校3年生の時には進学組に所属していました。
父から農業大学校への進学を勧められましたが、農家を継ぎたくないのと農業では食べていけないと、高校卒業後は家出同然で集団就職で上京し、段ボール工場に就職しました。
就職後はコツコツと働いてお金を貯め、当時私立大学の中で一番学費が安かったという理由で法政大学第二部法学部政治学科へ進学し、1973年に大学を卒業した後は、建電設備株式会社(現、株式会社ケーネス)に入社されました。
その時の学費は全部アルバイトで稼ぎ、ガードマン、新聞社の使い走り、食堂のカレーの盛りつけ係など、アルバイト漬けの日々だったと語られています。
政治家の方は世襲議員も多い印象がありますが、ここまでの生い立ちを見ると、政治家とは無縁の方のように思いますね。かなり苦労なさったのですね。
菅義偉さんは、就職後に参議院選挙を手伝うきっかけがありました。
そして「人生は1回きりだから自分の思うように生きたい」と菅義偉さん自身も政治家を志すようになり、1975年に衆議院議員小此木彦三郎氏の秘書となり、11年間務めていました。
そして、1987年に神奈川県の横浜市会議員選挙に有力議員のいる西区選挙区から出馬し、初当選されました。
周囲の人からはかなり反対され、何度もやめるよう説得されたそうですが見事ですね!
秘書時代に培った政財官の人脈を活かして辣腕を振るい、高秀秀信市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなど、「影の横浜市長」と呼ばれていたようです。
その後、1996年の第41回衆議院議員総選挙に神奈川2区から自民党公認で出馬し、初当選。
衆議院議員になってからは総務副大臣、総務大臣とまっとうされ、2012年12月に第2次安倍内閣の発足に伴い、内閣官房長官に任命されました。
そして、2020年8月29日、自民党総裁選挙に出馬する意向を発表しています。
議員になってからは、とんとん拍子に内閣官房長官へとなられたように思います。
しかし最初の横浜市会議員へ出馬を決めた時には、1日200軒、4月の選挙前までに3万軒の西区の家を1人で一軒一軒まわったそうです。
その時には6足の靴がダメになったとのこと。
そのボロボロになった靴を見て、事情を知った別の候補者を支持する方に「これだけの苦労をしてるのだから、菅さんは、必ず当選するよ」と言葉をかけられたそうです。
そして有力議員がいたにも関わらず見事当選しています。
このように、菅義偉さんは昔から努力家で真面目な方だと伝わってきますよね。
今後の総裁選の行方に注目したいと思います!