小室敏勝(小室圭の父)年齢と死因は?明治大学出身で職業は横浜市役所の公務員

小室敏勝

秋篠宮眞子さまと小室圭さんの納采の儀が延期され、2020年11月には眞子さまが結婚に関する「お気持ち」を発表されました。

今もなお正式な婚約さえ行き着かず、お2人の結婚問題はまだ続きそうです。

お相手の小室圭さんやその母親の小室佳代さんについては様々な報道がされており、良い印象を持っている人は少ないかもしれません。

 

そんな小室圭さんは、幼くして父親を亡くしています。

父の敏勝さんは何歳頃になぜ亡くなってしまったのか?

そこで今回は、小室圭さんの実の父親である小室敏勝さんについてまとめていきたいと思います。

  • 小室敏勝さんのプロフィール、年齢
  • 学歴と職業
  • 敏勝さんの死因について
  • 佳代さんとの馴れ初め

これらについて見ていきましょう。

 

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【小室敏勝さんのプロフィール】出身大学と職業について

名前:小室 敏勝(としかつ)
出身地:神奈川県藤沢市
生年月日:1964年生まれ
享年:38歳(2002年没)
最終学歴:明治大学建築学科 卒業
職業:横浜市役所の建築課勤務

小室圭さんの実の父親である敏勝さんは、神奈川県藤沢市出身です。

藤沢市にある敏勝さんのご実家は地元の大地主の分家にあたり、本家の小室家は豪邸で、親族全体でいくつもアパートや駐車場を所有しており、裕福な家庭環境で育ってきたと思われます。

 

敏勝さんは明治大学理工学部に進学し、同じ大学の建築学科を卒業後、1988年に横浜市役所に入庁します。

市役所では建築課の都市デザイン室に配属され、『みなとみらいの21』の設計にも関わったそうです。

とても華やかなお仕事をされていたのだなと思います。

 

そして1990年に小室圭さんの母親である佳代さんと結婚され、1991年には圭さんが誕生しています。

しかし幸せな結婚生活も長くは続かず、2002年に38歳という若さでお亡くなりになりました。

あまりに早すぎる死で悔やまれます…。

 

小室敏勝さんは年齢が何歳の頃に亡くなった?死因は?

38歳という若さでお亡くなりになった小室敏勝さん。

敏勝さんの死因は”自分自身で命を絶った”と言われていますが、なぜそこまで自分を追い込んでしまったのでしょうか?

当時の状況を探ってみます。

小室敏勝さんは、2002年3月 小室圭さんが当時10歳の頃に亡くなっています。

 

結婚後に職場の横浜市役所では配置換えが行われ、都市デザイン室から市営住宅の建て替えを担当する部署へ異動となり、多忙な日々を送っていたそうです。

住民に立ち退きをうながしたり、立ち退いた後の世話までも受け持ち、ストレスは大きかったようです。

 

それと同じ頃に、東京都八王子市に佳代さんのご両親と一緒に住むための二世帯住宅を建てる計画がありました。

しかし敏勝さんの収入では圭さんの教育費なども含め、お金を捻出することが難しく、敏勝さんの実家にもお金の工面を頼みましたが断られてしまいました。

仕事が多忙を極めたことと、お金の問題を抱えたことで精神が参ってしまい、次第に仕事を休みがちになり、ついには体調を崩してしまいます。

一時は藤沢市の実家に帰って療養するようになりましたが、ある日 佳代さんが圭さんを連れて敏勝さんを迎えに行きアパートに戻ります。

それからすぐの2002年3月の深夜に家族が寝静まるなか、敏勝さんは1人家を出たそうです。

敏勝さんが行方不明となってからは、敏勝さんの幼馴染みなども捜しましたが一晩さがしても見つからず、数日後に近くの河川敷で変わり果てた姿で発見されています。

発見された敏勝さんは、自ら命を絶ったということと、焼○体だったというのでさらに驚きです。

 

幸せな一家3人でしたが、敏勝さんが亡くなったことで生活が一変し、専業主婦だった佳代さんがカフェやケーキ屋で働き始め、女手一つで圭さんを育ててこられました。

生活が苦しい部分もあったと思いますが、圭さんは敏勝さんの遺産を得たと報じられています。

敏勝さんの遺産のおかげもあり、圭さんは中学・高校とカナディアン・インターナショナルスクールに在学し、大学は国際基督教大学に進学しています。

小室圭さんはこの高学歴を活かして、亡くなった敏勝さんの分まで活躍して欲しいですね。

 

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小室敏勝さんと小室佳代さんとの馴れ初めは?

小室敏勝さんと妻の小室佳代さんとの馴れ初めや、当時の結婚生活について見ていきます。

小室佳代さんは地元の高校卒業に、祖母のツテで家政婦の仕事を紹介してもらい、社員寮で暮らしていました。

敏勝さんは横浜市役所勤務で、2人は職場の同僚ということもなく接点がなかったようです。

おそらくですが、同じ藤沢市出身のため、友人の紹介などで出会った可能性があります。

 

そして1990年の敏勝さんが26歳、佳代さんが24歳の頃に2人は結婚しました。

翌年1991年には息子の圭さんが誕生します。

当時は敏勝さんが勤める横浜市役所の官舎に住んでいましたが、その後は横浜市内にマンションを購入し家族3人で幸せに暮らしていました。

敏勝さんを知っている人の話によると、敏勝さんはまったく怒ることのない人で、性格もおとなしく穏やかな人だったそうです。

佳代さんが言うことに対しても、すべてやさしく受け入れていたそうです。

 

圭さんは3歳から小学校高学年までバイオリンを習っており、敏勝さんもレッスンや発表会を見に来ていました。

一人っ子だったこともあり、夫婦は圭さんをとてもかわいがっていました。

また圭さんはバイオリンを習っていたこともあり、小学校は国立音楽大学附属小学校へ進学しています。

進学に合わせて横浜から東京の国立市に引っ越してからは、敏勝さんは勤務先の横浜市役所まで通勤するのに1時間以上は掛かるので、朝は圭さんがまだ寝ている早朝6時頃に家を出て、夜は圭さんが寝てから帰ってくるような生活を送っていたそうです。

敏勝さんはとても子煩悩だったことがわかりますね。

 

佳代さんは、自分が大学に進学できなかったことにコンプレックスを感じていたそうで、その思いが圭さんのプリンス教育に大金を注ぎ込むきっかけともなっているようです。

息子に誰もがうらやむような高学歴を与えたい…と、熱心に学業や習い事に通わせていたのでしょう。

お2人とも圭さんをとても大事にされていたことが伝わりますね。

まとめ

  • 小室敏勝さんは明治大学卒業後に横浜市役所建築課に配属。
  • 1990年に敏勝さん26歳、佳代さん24歳の頃に結婚。1991年に圭さんが誕生。
  • 結婚後は市営住宅の担当部署へ異動となり激務に。その後二世帯住宅問題や圭さんの学費問題が重なり、敏勝さんは鬱状態だったそうです。
  • 小室敏勝さんは2002年3月の38歳の頃に自ら命を絶ちました。近くの河川敷で変わり果てた姿で発見されました。

 

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