大河ドラマ『どうする家康』で度々登場する「厭離穢土欣求浄土」という言葉。
いつしか徳川家康の御旗にも使われる言葉となり、天下統一されて泰平の世を築かれました。
ドラマでもよく出てくる「厭離穢土欣求浄土」とは、一体どういった意味があるのでしょうか?
そこで今回は「厭離穢土欣求浄土」の意味や、徳川家康がこの教えを大事にしている理由などを調べてみました。
- 「厭離穢土欣求浄土」の読み方と意味
- 「厭離穢土欣求浄土」の教えと出会ったきっかけ
- 一向一揆で登場した経緯
これらについてまとめていきます。
『厭離穢土欣求浄土』の読み方や意味とは?
おばさまが「嵐の時も好きだったけど、演技もいいよね〜松潤!頑張ってほしいよね」と売店の方と話しているのを聞いてほっこりした大樹寺の本堂。
宝物殿も大方丈も見応えたっぷり。ツアーの方もたくさんいてとても賑やか。 #大樹寺 #どうする家康 #松本潤 pic.twitter.com/PTAT1Lr75L— kkきょん (@08300904) March 10, 2023
「厭離穢土欣求浄土」は「おんりえどごんぐじょうど」と読みます。
意味は「今は戦国乱世、この穢れた(けがれた)世をなくし、平和の世を求める」という浄土宗の教えの一つです。
徳川家康がこの教えの正しい意味を知ったのは、「松平元康」を名乗っていた19歳の頃です。
桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にしたことを知った元康は、大高城を出て松平家の先祖の墓がある大樹寺に逃げ込みました。
元康は墓の前で自害しようとしたところ、住職の登譽上人から「厭離穢土欣求浄土」という経文の言葉を授けられたと言われてます。
大河ドラマ『どうする家康』では、少し違った描写で出てきましたが、徳川家康はこの教えによって改心することができた思い入れのある言葉なのですね。
以下より大河ドラマ『どうする家康』では、どのように描かれていたのか見ていきましょう。
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『どうする家康』徳川家康が大樹寺で自害を思い留まる
桶狭間の戦いが終わり、松平元康は駿府を目指して帰路につこうとしたところ、三河の松平昌久の軍勢から奇襲を受けて、岡崎城の北にある松平家の菩提寺(※)の大樹寺に逃げ込みました。
松平元康をかばった忠吉翁は、わき腹を被弾して重傷を負ったりと、負傷兵のうめき声であふれる寺を元康は思い詰めた表情で見渡しました。
松平元康は、敷地内にある松平家八代の墓が並ぶ墓地にやってきました。
亡き父の墓前に膝をつき、手を合わせてから脇差を抜いて切っ先を腹に押し当てます。
無能な大将の首でも家臣たちの命を救えるだろうと考えたのです。
駿府城に残している妻・瀬名と子供たちを想い、あふれる涙を止められずにいると、そこへ平八郎(本田忠勝)がやって来ました。
「俺でよければ介錯してやる」
しかし、平八郎の本当の望みは「いつの日か松平元康を主君と仰ぎ、祖父や父のように主君を守って亡くなることだ」と伝えたのです。
元康の目には再び涙があふれ出し、
「厭離穢土欣求浄土…。汚れたこの世を離れ、極楽浄土へ行けという教えじゃ。」
浄土宗の教えを唱えたのです。
すると、寺の奥から武家の若者がふらりと出てきました。
住職の登譽上人から学んでいる榊原小平太(さかきばらこへいた)という者で、
「恐れながら、間違いにござりまする。”あの世に行け”という意味ではございませぬ。
厭離穢土欣求浄土とは『汚れたこの世こそ、浄土にすることを目指せ』かような意味と、登譽上人様に教えてもらいました。」
と、元康に話しました。
「けがれたこの世を浄土に…」
その言葉を聞いて元康は奮い立つのです。
寺の総門が開き、金荼美具足を身に付けた騎馬の元康が現れました。
「今一度、この元康が三河を平定し、いかなる敵からも守ってみせる」と言い放ちました。
元康の迫力に圧倒された敵軍の中央を突破して、元康軍は岡崎城へ向かって悠然と行軍していきました。
『どうする家康』一向一揆の旗にも登場
浄土真宗の門徒たちと松平家康が戦った三河一向一揆は、約半年に渡って行われました。
これ以上戦いを長引かせたくなかった家康は、叔父である水野信元の支援を受けて、空誓上人との間で和睦がなされ、三河一向一揆は終結しました。
城へ戻ると、家臣団は謀反者がいなくなり結束が強くなったと喜び、「厭離穢土欣求浄土」の旗を掲げて宴を催しました。
「立派な御旗じゃ!」「そういうことじゃ!災い転じて何とやらじゃ。」
厭離穢土欣求浄土の御旗を掲げてた小平太に…
「海老すくいとまいりますか!」で踊り始める時にどなたかが「小平太!」って呼んでくれてる👂
…で、家臣団そろって🦐ダンスw
小平太くん、すっかり家臣団の一人だね👍良き良き#どうする家康 pic.twitter.com/pBGUZxlHNE— まめ💚ニャン (@7b3It8uZLE6IpXl) March 6, 2023
家臣団との宴に参加せずに浮かない表情の家康は、
「わしは愚かなことをした。わしが守るべきものは民と家臣達であったというのに…」
懺悔の涙を流していると、妻の瀬名がそっと寄り添いました。
「ならば、これから成し遂げましょう。厭離穢土欣求浄土。汚れたこの世を浄土に。」
そう諭したのでした。
徳川家康と家族や家臣団にとって戒めのような言葉でもあるようです。
徳川家康が成長しながら「厭離穢土欣求浄土」を実現するまでの姿をテレビの前で見守りたいですね。