石原典子の現在の顔画像や実家の両親は?石原慎太郎との馴れ初めについても

石原典子

《本記事はプロモーションが含まれています。》

元東京都知事の石原慎太郎さんが、2022年2月1日にお亡くなりになりました。

あまりに突然すぎる訃報で、世間も深い悲しみに暮れていることだと思います。

政界を引退されてからあまり姿をお見掛けしませんでしたが、ここ数年は自宅で訪問医療を受けていたそうです。

奥様の石原典子さんは、きっとそばにいて最期を見送られたことでしょうね。

 

そんな妻の石原典子さんですが、今までとくにメディアの前に姿を現すこともなく、どんな方なのかあまり分かりません。

そこで今回は、石原典子さんに注目しました。

  • 石原典子さんのプロフィール、年齢
  • 現在の姿
  • 実家や学歴について
  • 夫の石原慎太郎さんとの馴れ初め

これらについてまとめます!

 

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【顔画像】石原典子さん(石原慎太郎の妻)の現在の年齢は?

名前:石原 典子(のりこ)
旧名:石田由美子
出身地:広島県広島市
生年月日:1938年1月生まれ
年齢:84歳(2022年2月現在)
最終学歴:慶應義塾大学 法学部政治学科卒業
職業:作家

 

こちらの写真は、1975年に石原慎太郎さんが東京都知事に初出馬して、典子さんと弟の石原裕次郎さんが応援に駆け付けたときの画像です。

このとき37歳の頃になります。

 

石原典子さんは、2022年2月現在で84歳となりました。

夫の石原慎太郎さんは妻の誕生日後にすぐに亡くなったことになります。

 

【2月2日追記】

1999年に石原慎太郎さんが東京都知事選で当選が確定したときのインタビュー映像がありました。

石原典子

出典:フジテレビ

石原典子さんは、夫の初当選の喜びを語っておられました。

Q、当確の瞬間はどんなお気持ちでしたか?

A、うれしゅうございました。

Q、ご主人とはまず最初にどんなお話をされましたか?

A、「おめでとうございました」って言いました。主人は「ありがとう」と。

Q、奥様としては今の心境はどうですか?

A、ご期待に沿うように働いてもらいたいと思います。

Q,この選挙戦も大変だったと思いますけどいかがですか?

A,皆さんに本当にお世話になりました。

 

常連のお店のインタビューによれば、典子さんは”昭和の奥様”といったかんじの大人しい女性で、夫のことを立てるし、自然に一歩下がって歩く女性だったそうです。

多忙な慎太郎さんのために、毎日の朝食は洋食と和食の両方を準備なさっていたそうで、ご主人想いで立派な奥様ですよね。

石原慎太郎さんが政治家や作家として活躍できたのも、内助の功があってこそだったのですね。

 

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石原典子さんの実家と両親(父母)はどんな人?

石原典子さんの父親は石田光治さんと言い、落下傘の紐などを作る『東洋麻糸』という紡績会社のサラリーマンとして勤めていました。

滋賀県の彦根工場で勤務していた光治さんは、1934年に典子さんの母親である政子さんと結婚し、1935年には長男の石田省三さんが生まれています。

そんな幸せの真っ只中でしたが、光治さんが32歳の頃に彦根工場から赴任して招集令状を受け、日中戦争に出征しました。

このとき、母の政子さんのお腹には典子さんがいたのです。

 

その後、身重の母・政子さんは、実家のある広島市己斐町に身を寄せて、1938年1月に典子さんを出産しました。

父の光治さんは典子さんが生まれてわずか1年足らずで、南昌作戦で敵から弾丸を受けて亡くなりました。

光治さんは身重な妻を気遣い、戦場から75通もの手紙を送ったそうです。

想像するとなんだかむねが痛くなりますね…。

 

石原典子さんが生まれた翌年には第二次世界大戦が始まり、終戦したのは1945年ですから、典子さんは7歳頃まで戦争を経験なさったことになります。

広島市で生まれたと知り、原爆の被害に遭わなかったのか気になりましたが、典子さんはその後に神奈川県へ移り住み、鎌倉、金沢八景、逗子などを転々としながら暮らしていたそうです。

母・政子さんは女手一つで、2人の子どもを連れて戦火から逃れるのは心細かったでしょうし、大変だったと思います。

 

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石原典子さんと石原慎太郎さんの馴れ初めは?

石原典子さんと石原慎太郎さんは、母同士が知り合いだったので顔見知りでした。

初めて好意を寄せたのは12歳の頃だったそうで、慎太郎さんは子どもの頃から好きだったんですね。

石原慎太郎さんは1932年生まれで、石原典子さんは1938年生まれなので、2人の年齢差は6歳差になります。

 

ここから一気に話が飛びますが(汗)、高校生の頃に2人でホテルから出て来たところを、親戚のおばあさんに見つかってしまい、呼び出されて結婚するのか別れるのかと詰め寄られたそうです。

慎太郎さんは周りの後押しもあり、典子さんと結婚することを選んだそうですよ。

そして1955年12月の慎太郎さんが23歳で、典子さんが17歳の時に2人は結婚しました。

17歳というとまだ高校生の頃ですよね?

結婚って勢いが大事って言いますけど、石原ご夫妻は本当に追い風を受けて結婚できたのかも。

そして結婚後は、長男・伸晃さん、次男・良純さん、三男・宏高さん、四男・延啓さんの4人の息子さんを授かりました。

 

その後典子さんは家事育児にいそしみながら、一念発起して大学受験に向けて猛勉強し、慶應義塾大学 法学部政治学科に見事合格されます。

4人の子どもの面倒を見ながら家事をして勉強もするなんて、同じ子を持つ母親である筆者の心境ではちょっと考えられません。汗

寝る時間も惜しんで勉強なさったと思いますし、努力家で立派な方ですよね。

2021年12月で結婚66年を迎えたばかりでしたが、2022年2月1日に夫の石原慎太郎さんが亡くなり、悲しい別れとなってしまいました。

 

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2 件のコメント

  • これ程の人の奥さんの談話がない。
    映像も無い。徹底したマスコミ嫌いだけとは思わないがなにか慎太郎氏との約束があったのだろうか?

    • おはようございます。コメントを頂戴してありがとうございます。
      たしかに石原典子夫人との談話であったり、写真はあまり見当たりませんね。
      おっしゃるように何か夫婦間で約束がったのか気になりますね。

      慎太郎さんがお亡くなりになって、会見などの対応は4人の息子さんがなさってますので、典子夫人の様子が窺い知れませんね。

      しかし、今朝になって各ニュース番組を確認したところ、典子夫人のエピソードが少しですが語られていました。

      控えめな方のようで、慎太郎さんの後ろを一歩下がって歩かれるようなご夫人だそうです。

      毎朝の朝食は洋食と和食の2種類を用意されたりと、常に慎太郎さんの気持ちを尊重なさっていたそうです。

      内助の功とは、まさに典子夫人のことですよね。

  • 佐山嘉信 へ返信する コメントをキャンセル

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