大河ドラマ『どうする家康』第27回の放送では、徳川家康が織田信長を富士遊覧でもてなしたお礼として近江の安土城に招かれていました。
今回話題になったのが、徳川家の饗宴に出された『淀の鯉のお造り』が臭くて、家康が顔をしかめるシーンです。
宴の前に明智光秀が「徳川殿の料理に毒を入れることもできます。」と織田信長に耳打ちしていたので、家康は暗殺されそうになったのでは…と噂になってます。
家康に出された淀の鯉のお造りが臭かったのはなぜなのでしょうか?
本当に毒を盛ったのか、それとも魚が傷んでいたのかどっちなんでしょうか?
殺意があったのか気になりますよね。
そこで今回は、ドラマと史実でそれぞれ料理に細工がされていたのかを調べてみました。
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【どうする家康】明智光秀が出した淀の鯉料理は毒入りか傷んでたのかどっち?
【 📸 今夜の注目シーン 】
この鯉(こい)、何だか臭う…?▼ 予告動画はコチラhttps://t.co/mEd2Y899S3
第27回「安土城の決闘」
🗓7/16(日)
[総合] 午後8:00 [BSP / 4K] 午後6:00
[BS4K] 午後0:15 (先行放送)#どうする家康#徳川家康 #松本潤#織田信長 #岡田准一 pic.twitter.com/w1Pv5xhfUQ— 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) July 16, 2023
徳川家康は淀の鯉料理が出てきた時に臭そうにしてましたが、実際に毒が盛られていたのか、傷んでいたのかどっちなんでしょうか?
話の流れから考察すると…
家康は『淀の鯉のお造り』がクサいふりをした。
織田信長の暗殺を計画していた徳川家康は、家臣の明智光秀を遠ざけたかった。
そのため光秀が接待を失敗したように見せかけて、信長が怒るよう仕向けた。
と考えられそうです。
織田信長を討つには、家臣を減らして護衛を手薄にする必要がありました。
失敗は絶対に許さない信長の短気な性格を利用して、光秀を遠ざけようとしたと考えられます。
徳川家康は正室・築山殿と長男・信康を失ってから、織田信長を恨んでいました。
家族を失ってから3年間、いつか仇を討つことを決めて心の支えにしてきたのです。
そこで安土城に招かれたことを機に、信長を討つ計画を練っていました。
偶然にも信長の配下の武将達は各地に散らばっており、信長を討つには千載一遇の好機だったのです。
柴田勝家…北陸へ出陣中のため不在
唯一、明智光秀だけが休暇を与えられており信長の傍にいました。
よって明智光秀は家康にとっては邪魔者だったわけですが、徳川家康には名案があるようでした。
ーーーその頃、安土城ではーーー
徳川家が到着する頃、明智光秀はおもてなしの準備が整ったことを信長に報告しました。
着物の懐から毒を取り出し、「お望みであれば徳川殿の料理に入れることも…」と耳打ちしており、料理に毒を盛ったと思わせる伏線があったのです。
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安土城で饗宴が始まると、豪華な料理を目の前にして家康が少し緊張してる様子が見られました。
とっておきのメニューの数々に明智光秀はご満悦の表情です。
しかし『淀の鯉のお造り』が配膳されると…家康は香りを嗅ぎ、顔をしかめて箸を止めました。
織田側の家臣が「どうかなさいましたか?」と声をかけると、徳川の家臣も次々に鯉に鼻を近づけて香りを確かめます。
もしや…と、信長は光秀をギロッと睨みます。
「臭みはありません」と光秀が慌てふためくと、家康は「贅沢な物は食べ慣れておりませんので…いただきます」と言いますが箸が進みません。
意を決して口に運ぼうとすると、織田信長が匂うなら止めておけ…と止めました。
明智光秀のしくじりに激昂した信長は、満座で折檻して接待役を解任。明智光秀を毛利攻めの応援に行かせることにしたのです。
織田信長は、家康が幼少期の人質時代からかわいがってきました。
桶狭間の戦いで今川義元を討った後に、織田信長は家康が滞在する大高城へ攻めていきましたが、家康が逃げていないことを確認すると嬉しそうに引き上げて行った話がありました。
幼い頃、弱虫だった家康がたくましく成長して嬉しかったのでしょう。
つまり、信長は姑息な手段で家康を殺すつもりは無いはず。
そのため信長は料理に毒を盛る指示はしておらず、明智光秀が勝手に毒を盛ったと思い込んで激昂したのではないでしょうか。
明智光秀が毒を見せた時点で、信長は光秀を信用してなかった可能性もありますね。
つまり淀の鯉料理事件は、徳川家康が明智光秀を遠ざけるための作戦だった可能性が高いですね。
もしくは明智光秀に謀反を起こさせるための策だったのかもしれません。
家康の家臣たちも鯉料理が出された途端、殿の顔をじっと見つめてましたからね。
すでに家臣とは打ち合わせ済みで、「今だ!」と合図を送ったと思われます。
ドラマでは、”家康は鯉が傷んでるフリ(毒が盛ってあるフリ)をした”というわけですね。
ところで明智光秀が用意したご馳走、美味しそうでしたよね。
江戸時代では淀の鯉のお造りは高級料理だったそうです。一度味わってみたいものですね。
【史実】明智光秀が出した淀の鯉料理は毒入りか傷んでたのかどっち?
その一方で、史実では徳川家康へのおもてなし料理はどのように扱われたのでしょうか?
調べてみると…
という事実があったようです。
専門家の記事に、当時の状況がくわしく載っていました。
天正10年(1582)5月、信長は武田氏を滅亡した労をねぎらうため、徳川家康を安土城に招いて饗応することにした。この一件に関わったのが光秀だ。
5月15日、家康は駿河拝領のお礼を申し述べるため、穴山梅雪(信君)を伴って、信長のいる安土城に参上した。このとき接待役という重大な役を任されたのが、光秀なのである。
家康の一行は、光秀の屋敷を宿とした。信長は光秀の屋敷に足を運び、宴会に供される肴の準備状況を確かめようとした。ところが、時期は初夏の頃で、生魚が傷んでいたのか、すでに悪臭が門前に漂っていた。
驚いた信長は台所へ飛んでいき、これでは家康のもてなしができないと激昂し、堀秀政の屋敷に宿を変えさせた。
引用:【戦国こぼれ話】
実際は料理に使う予定の魚が傷んでいて、明智光秀の屋敷では宴会が開けなかったようです。(何の魚かは不明)
準備に手抜きが見られたとして織田信長は酷く叱責。人前で折檻しています。このエピソードはドラマと同じですね。
光秀は家康の接待役を降ろされ、羽柴秀吉の援軍として中国地方への出陣を命じられました。
立場をなくした光秀は信長を深く恨んだと言われてます。
・えびすくいの歌詞の意味が恥ずかしい!踊り方も解説!
・どうする家康の木彫りのうさぎは史実?意味や瀬名とのエピソードを紹介!
まとめ
家康は『淀の鯉のお造り』が臭いフリをした。
織田信長の暗殺を計画していた徳川家康は、家臣の明智光秀を遠ざけたかった。
そのため光秀が接待を失敗したように見せかけて、信長が怒るよう仕向けた。
(家臣を遠ざけて信長の護衛を手薄にしたかった)