1999年に刊行され、表紙の「夢の記録」で東日本大震災を予言していたとして急激に話題となった『私が見た未来』。
すでに絶版のため、フリマアプリなどでは10万円の値が付き、幻の予言漫画とも言われました。
そんな多くの読者からの要望を経て、この度 復刻改訂して『私が見た未来 完全版』として発売されました。
完全版では、たつき諒先生ご本人による新しい予言も追加されています。
「2025年7月5日(土)に大津波が来る」という衝撃の予知夢が掲載され、大変な騒ぎになっています!
本には一体どのような内容が書かれていたのか、感想をまじえてご紹介させていただきます。
目次
【私が見た未来 完全版】と旧版との違いは?表紙のたつき諒先生が泣いていない!
旧版の『私が見た未来』では、表紙の女性(たつき諒先生)は泣いてますが、完全版では泣いていません。
画像を確認すると…
《旧版》
《完全版》
1999年にたつき諒先生が、旧版『私が見た未来』の表紙イラストを描いたときは、心も体もとても辛い時期だったそうで、たしかに女性の顔もちょっと暗い印象に見えるような気がしますね?
しかし完全版の方では、明るい未来を夢見て、エクボと涙を消したそうです。
泣いていないだけで、全然顔の印象が違って明るく見えますね!
ほかにも手相に変化が現れて、2021年3月に左手に開運線(運命線から中指へ伸びる線)がくっきり出て来たので、完全版の表紙の手相も書き直されています。
今まで顔を覆う左手は、顔を隠している?と言われてきましたが、手相が見せたくて手を開いた絵を描いたそうです。
『2025年7月5日(土)午前に大災難の予言』日本列島の太平洋側に大津波が来る!
完全版の中で一番気になった予知夢は、『2025年7月5日(土)午前に日本列島の太平洋側を大津波が襲う』という予言です。
巻末の『作者あとがき』にも書かれています↓
大津波の予知夢は、本書の【第Ⅰ部 予知夢編】の最後に掲載されている内容のため、順番が前後してしまい、こちらの解説が分かりづらいかもしれません。
順番に読んでいきたい方は、【私が見た未来 完全版】たつき諒先生著・中身と予言内容をネタバレ!←のリンクを先にクリックして読んでみて下さい。
↓こちらから大災難予知夢の要点まとめと感想になります↓
インド旅行に行ってるときに、これから起こる大災難の夢を見ました。
同じ夢を2回見ており、たつき先生はGoogleEarthのような目線で、上空から地球を見ていました。
すると、『日本列島の南に位置する太平洋の水が盛り上がる』そんなビジョンが見えたのです。
突然、日本とフィリピンの中間あたりの海底がボコンッと破裂(噴火)したのが見えました。
その後、海面で大きな波が四方八方に広がって、太平洋周辺の国に大津波が押し寄せていました。
その津波の高さは、東日本大震災の3倍はあろうかというほどの巨大津波でした。
東日本大震災の津波はもっとも高いところで40mほどの痕跡が確認されているので、単純計算すると3倍で120mくらいの津波が来るということでしょうか。
ちょっと想像ができない高さです…。
日本列島の太平洋側、1/3~1/4が大津波に飲み込まれています。
そして震源地に向かって、2匹の竜が向かっていく映像が見えました。
先生のメモによれば、”南海トラフどころではない”とのことです…。
南海トラフ地震の想定をはるかに超える、壊滅的な大津波が日本の太平洋側を襲う映像が見えました。
しかし必要以上に不安になる必要はなく、高台への避難訓練と防災グッズの準備を行うことで多くの命が助かる映像が見えたそうです。
津波はすぐにおさまるから落ち着くこと。と、メモ書きされています。
大津波の後に訪れる新たな世界
今回夢で見た大津波はちゃんと日付が見えています。2025年7月です。
あらかじめ分かったことで、たくさんの人々の意識が変わり、対策を立てることができると思ってます。
何も知らない、分からない状態でいると、準備を怠ったり、逃げ遅れたりする人が出て来てしまいます。
大切なのは準備すること。
災難の後の生き方を考えて今から準備・行動しておくことの重要さを改めて認識することです。
2025年7月に起こる大津波の後の世界は、ものすごく輝かしい未来が見えています。
悪い出来事のあとには良いことが待っていて、大災難が起こることによって、世界の状況は大きく変わっていきます。
地球全体ですべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしているイメージを感じます。
心の時代の到来、つまり心と魂の進化が起こるからです。
これほどの大津波が襲来するにも関わらず、その後の未来は明るい見通しが立っているんですね?
かなり恐怖を感じましたが、この予言を活かさないと意味がないので、真剣に避難準備や避難のシミュレーションを家族でしていきたいと思いました。
【私が見た未来 完全版】たつき諒先生著・中身と予言内容をネタバレ!
初出版された『私が見た未来』では、たつき諒先生の知人が体験した怖い話や、不思議な出来事が描かれており、その一部にたつき諒先生が体験した正夢となった話が、すべて漫画という形で掲載されていました。
しかし今回の完全版では、第Ⅰ部に当時の予知夢の漫画とあわせて、たつき先生が書き溜めていた夢日記の解説(文章)が付け加えられています。
「夢日記」解説が、新しく付け加えられた内容になりますね。
第Ⅱ部では、たつき諒先生の背後霊やオーラが見える話などの実体験を元にした「縁の先」という作品や、単行本未収録のミステリー漫画8本が掲載されています。
全215ページ
【第Ⅰ部 予知夢編】
《漫画》
- 夢のメッセージ
- 私が見た未来
《夢日記解説》
- 夢日記を書き始めたのか
- 夢日記には何が書かれている?
- 予知夢の真相①「大災害は2011年3月」と描いた理由
- 予知夢の真相②ダイアナ妃の死
- 予知夢の真相③富士山大噴火
- 予知夢の真相④荒れてヒビの入った大地
- 予知夢の真相⑤私の葬儀は白っぽい服だとよい
- 漫画家時代の話
- 幼少期の不思議体験
- 漫画家を辞めた理由
- インド旅行が大きな転換点となった
- 漫画の中で描いた大津波は2011年3月のことではない
- 2025年7月に起こること
- 大津波の後に訪れる新たな世界
【第Ⅱ部 ミステリー漫画編】
- 縁の先
- ちいさなカラの中
- 浮遊霊
- 地下街
- 冥界の壁
- もうひとりの自分
- 闇の中へ…
- そんな馬鹿な
- 雨月物語
- 作者のあとがき
ご覧いただくと分かるように、予想以上にボリュームがあって読み応えがあります!
では、第Ⅰ部の内容と感想から書いて行きます。
漫画【夢のメッセージ】のあらすじと感想
たつき諒先生が自分の見た夢に興味を持ち、夢日記をつけ始めるところからスタートします。
1976年11月にQUEENのボーカル、フレディが亡くなるのをテレビで見て泣きじゃくる友人をなだめている夢を見ました。
夢は人に話すと実現しなくなると聞いたので、忘れないうちにノートにメモを取って、それを片っ端から友人に話しました。
しかしむなしくも、フレディさんはたつき諒先生が夢で見た日付と同じ日に亡くなってしまいました。
他にも同じ場所の夢を何度も見ることがあって、大きな空洞に海が広がっていて、そこへ女の子が座っている夢を見てました。
ある日気晴らしに近所の公園に散歩へでかけたところ、夢と同じ景色が広がっていて驚きました。
戦時中の防空壕でしたが、その翌週にその場所で女性のバラバラ〇人事件があったとニュースで報じられました。
他にも、伯父が亡くなって葬儀に参列する暗示が1年前の夢で現れていました。
帰り道にデジャ・ブーを感じて、夢日記を見直したところ、まさに夢で見た田舎の畑と同じ場所を見ていました。
違っていたところは、本当はブドウ畑でしたが、夢では”びわ畑”だったこと。
そして読者も夢日記をつけたらどうでしょうか?と語りかけて終わりとなっています。
漫画【私が見た未来】のあらすじと感想
1989年8月に見た夢で、トンネルのような洞窟みたいな場所で水色のワンピースを着た女性が、こちらに何か言いたそうにしている夢を見ました。
そのちょうど一年後にぶらっと近所の公園へ散歩に出かけたら、夢で見た光景と同じ洞窟を発見しまして、不思議に思い、カメラのシャッターを切りました。
写真が出来上がって来る頃、その場所で〇人事件があったとニュースで流れてきて驚きました。
他にはQEEENのボーカル フレディが病にかかって亡くなったのをニュースで見て、一緒にいた友人が泣き崩れる夢を見ました。
そして10年後の11月にもQUEENの夢を見て、その場面ではフレディがいませんでした。
その5年後の11月にフレディさんが亡くなったことを、イギリスに住む友人から知らされ、驚くたつき先生。
当時の夢日記の分析によると、
と書き残していたページを見つけました。
たつき諒先生が見る予知夢には2つのパターンがあります。
- 直接そのままの未来を見るパターン
- 象徴的予知夢と言って、未来が別の共通するイメージのもので伝えられメッセージとして見るもの
たつき先生の場合は、象徴的予知夢である場合が多いそうです。
地方に住む伯父が亡くなり、葬式に出るときに夢で見た光景と同じ畑を見たり、赤ちゃんの人質事件で同じ顔の赤ちゃんを夢で見たり、友人が彼氏に振られる夢を見たり…それらがすべて現実になったのです。
そしてたつき先生ご自身が津波の災害で被災する夢を見ました。
部屋の中で目が覚めたら、腕時計が5時で止まっていました。
そして目の前に歩道橋が現れ、渡ってみると、大きな船が三艘泊まっているのが見えました。
その歩道橋が、たつき先生の住む地域に新しくできたものに似ているとのことです。
これが現実になるかは、もうすぐ分かる…。
という場面で漫画は終了しました。
【夢日記解説】のあらすじと感想
この章は、新たに付け加えられた新しい夢解説になります。
たつき諒先生は、印象に残る夢を見たときは目が覚めても忘れないそうで、はっきり記憶に残っているものは何か意味があるのかもしれないと思い、少しずつメモを取る様になりました。
母からもらった真っ白な本を夢日記に使うことにし、1985年から本格的に夢を記録し始めました。
夢日記はいつでもメモが取れるように、いつも枕元に置いていました。
夢は書きとめますが、予知夢かどうかは現実になったかどうかで判断します。
予知夢は自分に関係する事故や事件に限られているそうです。
「大災害は2011年3月」と描いた理由
東日本大震災を的中させたと話題の、本の表紙に書かれた「大災害は2011年3月」のメモは、本当は「1999年の災害は小規模に、そして大災害は2011年3月に」と書くつもりでした。
「2011年3月」という年月は、「私が見た未来」の単行本締切日に夢で見ました。
たつき諒先生は直感で、とても重要な日付だと思い、急遽 本の表紙に年月を付け加えたとのことです。
ダイアナ妃の死
夢の中では、お城の中で赤ちゃんを抱いた女性と「DIANA」という文字が見えました。
夢で見た5年後にダイアナ妃は亡くなっていますが、実際は亡くなるイメージの夢ではなかったそうです。
富士山大噴火
テレビでも騒ぎになっていた富士山の大噴火ですが、これは象徴的な夢とのことです。
夢占いによれば、「噴火=世界恐慌やパンデミックなどでパニックになる」という意味があります。
たつき先生によると、実際に富士山が大噴火して被害が出るわけではないそうで、もし噴火しても脇から溶岩が漏れる程度のものだと見解を示しておられます。
富士山の夢は過去に3回見ており、1991年の夢では富士山が噴火。
2002年には梅畑の付近でホームステイをして、富士山を眺める夢。
2005年にはセスナ機で富士山の火口を見て「きれい」と思う夢でした。
もしかしてコロナのパンデミックを予言した夢だったんでしょうか?
荒れてヒビの入った大地
1995年1月に赤い大地に2か所の大きなヒビと亀裂が入った夢を見ました。
天に女性がいたので「連れていって」と言ったら、「まだ今はダメよ。5年後ね。5年経ったら迎えにくるわ。」と言われました。
その後、色々と考察したらヒビの形が自分の結婚線に似てることから、結婚の予知夢か自分の寿命の話かと思って過ごしていましたが、どうやら自分の役目が終わる日だと悟ったと書いてあります。
2025年に地球規模の大災害が起きるので、その日のために警鐘を鳴らすのがたつき先生の役目では…とのことです。
私の葬儀は白っぽい服だとよい
1995年11月26日に見た夢です。
昔の日本の喪服は白でしたが、今は黒が常識となりました。
自分の葬式では白っぽい服を着てくれるかなと遺言に書いたら、みんなが白っぽい服で葬儀に参列してくれました。
夢には「7月15日」や「5月25日に自分が亡くなる」という夢を見たそうですが、実際には何も起こっていません。
夢占いによれば、自分の葬式の夢は「嫌な性格がなくなって人格が変わる」「大きな富が舞い込む」「人生の新たなスタート」という意味があるのだとか。
もしかして今回の「私が見た未来完全版」の発行で、”人生の新たなスタートとなる”といったメッセージがあったりするんでしょうか?
でも本の発売日と、夢で見た日付が違いますよね。
夢占いのように良い意味であることを祈るばかりです!
漫画家時代の話
たつき諒先生は、元々、漫画家になるつもりはなかったそうですが、17歳のときに交通事故に遭ったことをきっかけに、家でできて、生きた証を残せるもの、しかも顔を出さずにできる仕事がないか考えていたところ、本棚にあった「マンガ家入門」の本が目に留まって、漫画家を志しました。
たくさん落書きしたり、漫画家さんのアシスタントもやって絵を描きまくっていたそうです。
「花とゆめ」で入賞が決まっていましたが、秋田書店にスカウトされたので「月刊プリンセス」でデビューすることに。
その漫画家時代の不思議体験が書かれています。
旅館で缶詰作業をしていたら、編集長がのぞきに来て、ドアの隙間からこちらを見ていたそうですが、朝方に見たらドアの鍵は閉まっていたそうです。
幼少期の不思議体験
9歳の頃に3回目の引っ越しをしたたつき先生。
転校先になじめず、時々学校へ行かずに公園や神社で時間をつぶしていました。
ある日風邪で寝込んだときに、宇宙に意識を飛ばして空から自分を見るイメージを持ちました。
すると白いひげと白髪で、白い布をまとった老人を見たそうです。
急になつかしくなって涙が出て、創造主を見たと解釈したそうです。
漫画家を辞めた理由
少女漫画家としてデビューしましたが、1990年代は怪談やミステリー作品を中心に手掛けていました。
しかしストーリー作りが苦手だったことと、漫画家という職業柄、背中や首や肩が痛んで体力の限界を感じていました。
それで1998年9月の「白い手」を最後に漫画を描かなくなりました。
その後は、コンピューターグラフィックや、医療事務、住環境福祉コーディネーター、建築関係などの研修を受けて、経験や研修を活かした仕事を楽しんでいました。
気付けば漫画家を引退して22年が経っていました。
インド旅行が大きな転換点になった
漫画家を引退する1998年にインドへ行ったことは、たつき先生の中で大きな転換期となりました。
テレビでサイババを見たとき、自分の夢で出てきた人だと気づき、なぜ自分の夢に出てきたのか気になりました。
サイババの手のアップの写真を見たときに、自分の手相の運命線と同じことに気付きました。
インドに行ったら何か分かるかもしれないと思って、インド旅行へ行きます。
そうしたらたつき諒先生は、前世ではサイババの娘だったと分かりました。
前世では、1800年代にイギリスの新聞記者だったサイババは、転勤先のクウェートに移住したら12歳の娘がマラリアにかかって亡くなってしまったそうです。
その後も娘のことが気になり続けて、サイババになってからもずっと気にかけていました。
それがインドでのサイババの再会につながったと感じました。
たつき先生はサイババが来る集会に出かけたときに、周りには聞こえない声で「I know(知っているよ)」と声をかけられたそうです。
気功師の日本人女性に声をかけられて、サイババが「たつき先生に残ってくれ」と言ってることを伝えてくれました。
しかしどれだけ待ってもサイババは現れず、たつ気先生は待ち疲れして眠くなったので、ストールで顔を隠していましたが、風でめくれてしまうそうです。
「サイババがたつき先生の顔を見たくてストールをめくったんだよ」と、女性に言われました。
他にもインドではたくさんの不思議体験をして、「大災害は2011年3月」という日付が見えたのも、インド旅行から帰ってきてからのことでした。
漫画の中で描いた大津波は2011年3月のことではない
漫画の中で、先生が津波で被災する夢を見ていましたが、これは2011年3月の東日本大震災のことではないとの見解を示しておられます。
東日本大震災は冬でしたが、夢ではたつき先生は半袖姿でした。
そして津波の高さが東日本大震災よりも巨大だったのが印象的だったそうです。
夢で見た津波の夢は、2025年7月に関わる予知夢だったのでは…と考えられています。
詳しくは、上から2つ目の見出し2025年7月5日(土)午前に大災難の予言』日本列島の太平洋側に大津波が来る!をご覧下さい。