たつき諒先生が見た予知夢が描かれて、そのほとんどが的中したことで話題となっているコミック本『私が見た未来』。
1999年発売の漫画本の表紙に「大災害は2011年3月」と書かれ、東日本大震災を予言していたことが分かったりと、ここ数年でさらに注目が集まっています。
2020年6月放送のやりすぎ都市伝説では『漫画と現実のシンクロニシティ』と題して、関暁夫さんがたつき諒先生著書の『私が見た未来』をチラ見せして視聴者のあいだで騒ぎになりました。
不思議な予言をいくつも的中させた たつき諒先生とは、一体どんな方なのでしょう?
もともと霊感があったりするんでしょうか?
そこで今回は、たつき諒先生についてまとめていこうと思います。
- たつき諒先生のプロフィール
- たつき諒先生のTwitterアカウント
- 現在の活動状況について
これらについて書いていきます!
【たつき諒先生のプロフィールと経歴】年齢・性別・生い立ちについて
ペンネーム:たつき諒(竜樹諒)
性別:女性
出身地:神奈川県横浜市
生年月日:1954年12月2日
年齢:67歳(2022年4月現在)
血液型:O型
趣味:旅行
最終学歴:横浜商業高校卒業
職業:元漫画家
たつき諒先生は、神奈川県横浜市出身の元漫画家です。
名前だけ見ると男性かと思いましたが、たつき諒先生は女性です。
「たつき諒」と「竜樹諒」の2つのペンネームで、漫画の執筆活動をされていました。
飽きっぽい性格で、中学1年生の頃に歌手にあこがれて、東京の神田にあった歌謡アカデミーへ通っていた時期がありました。
先生から「裏声の方がキレイだね。」と変な褒め方をされてイヤになり、3ヶ月で夢を断念。
しかし負けじと、中学2年生の頃にはタレントを目指し、東京宝映タレント芸術学へ入学しましたが、生徒達の熱すぎるやる気に圧倒され、またしても3ヶ月で退学したそうです。
それからもフィギュアスケート教室に入るも、こちらも長続きしなかったそうです。
そんなたつき諒先生でしたが、横浜商業高校ではテニス部の部長になり、チームを引っ張る名プレーヤーとして活躍。文武両道で尊敬される生徒でした。
ある日17歳のときに交通事故にあってから、将来のことを真剣に考えるようになり…
そう考えて、DJや作家、画家、イラストレーターなどの仕事を視野に入れましたが、どれも気が進まず、兄が買って来たマンガ家入門の本が目に留まって「これだ!」と思ったそうです。
長年あこがれて漫画家になったわけではなかったんですね。
それを機に、今まであまり読んだことのない漫画本を読み漁って研究したそうです。
ペン慣れするために100枚以上落書きをして、絵の練習をする毎日を送っていました。
プロの漫画家のアシスタントをやっているときに、白泉社の『花とゆめ』で受賞が決まっていましたが、秋田書店からスカウトされて、1975年に竜樹諒のペンネームを使い、月刊プリンセスの『郷ひろみ物語』で漫画家デビューを果たしています。
@tatsukiryofusi1
たつき先生、やっと見つけました!懐かしいですか?!#郷ひろみ物語#竜樹諒 さん#たつき諒 さん pic.twitter.com/vDZiCP9wH7— みのもん【8376】 (@mino_monta) August 5, 2020
1975年のデビュー時は21歳でした。
デビュー後は『人形物語』『宝石物語』『時計物語』『時の中の少女』『水色の航空書簡』などのいくつもの少女漫画を描いておられます。
竜樹諒のペンネームでは、主に少女漫画を手掛けておられました。
そして東日本大震災を的中させたとして現在話題となっているのが、1999年に出版された『私が見た未来』です。
(ついに復刻改訂版が発売されました)
漫画の内容は、たつき諒先生が見た予知夢の話と知人の恐怖体験がベースとなって描かれています。
たつき先生自身には霊感などはまったくないとのことですが、1980年頃からたびたび予知夢を見ることがあったそうです。
1980年~1999年のあいだに、大地震などの災害や人が事件などで亡くなる夢を見て、それを夢日記に記録していました。
漫画家を引退した理由は、元々ストーリー作りが苦手だったことと、漫画家の職業柄、背中、肩、腰が痛くなって体力が限界だったことが重なって1999年に業界を去りました。
漫画家引退後は、コンピュータグラフィックの仕事や、医療事務、住環境福祉コーディネーターや、建築関係の研修を受けて、楽しく仕事として取り組んでいたそうです。
漫画家を引退した後も予知夢は見続けており、夢日記は増えています。
たつき諒先生には、夢の内容を世の中に伝える使命が与えられているのかもしれませんね。
たつき諒先生のTwitterアカウントはどれ?
たつき諒先生はTwitterはしていません。
その代わりに『私が見た未来完全版』を出版した飛鳥新社の公式Twitterで、最新情報を見ることができます↓
そもそも私が見た未来の完全版が出版されるきっかけとなったのは、たつき諒を名乗る人物が以下のTwitterアカウントで情報発信をしていたからです。
注意(偽):『私が見た未来』著者 たつき諒公式ツイッター⇒@tatsukiryofusi1
2021年に『私が見た未来完全版』が復刊されるにあたり、長年に渡り運営されてきた↑こちらのアカウントはなりすましだったことが分かりました。
詳細はこちらで書いてます↓
なりすましの人物によると、富士山噴火と横浜大津波の襲来時期が近づいてきているため、世間に警告するためにたつき諒先生の名前を名乗って活動してきたそうです。
現在、こちらのTwitterアカウントは削除されてます。
たつき諒先生の現在は何してる?活動状況は?
(; ・`ω・´)70と71ページ。立ち読みで見つけられなかったから買ってきました。たつき諒さんの予知夢アノマリーは高いので株クラのみんなは立ち読みでもいいので読むべし( ・∀・)#たつき諒 #フライデー #FRIDAY pic.twitter.com/BATXuTjLQt
— ふわふわ( ・ㅂ・)و🐄 (@fuwafuwarunning) March 28, 2021
たつき諒先生は1999年で漫画家を引退され、その後は趣味の旅行を楽しんでいたそうです。
その後は母の影響で医療事務の仕事をしてみたり、コンピュータグラフィックで絵を描いたりして、漫画家の締め切りに追われる生活から解放されて、楽しく暮らしておられるとのこと。
2020年5月頃には某掲示板にて、たつき諒先生のなりすましが登場し、ネット民と質疑応答をして騒ぎになったことがありました。
匿名掲示板だったこともあり、本人確認ができないまま、横浜大津波の予知夢で自身が被災している様子や、公で予言する理由などが語られ、信憑性が高まっていました。
やり取りの要点をまとめると…
- 自分が予言するのは自慢したいのではなく、災害のことを警告したいだけ
- 富士山噴火と神奈川県津波の警告に力を入れたい
- 尾田栄一郎先生に予知夢を見せれば、たくさんの人を守れたのに…
- 「私が見た未来(予言をまとめた漫画)」はフリマサイトで高値が買う必要はない。予言の内容だけ押さえておけば十分。
しかしこれらのやり取りはすべて、別人によるものだったことが分かっています。
たつき諒先生の活動情報が載っているサイトは、不思議探偵社でしたが、こちらもなりすましの人物によって発信された内容だと分かり、現在はたつき諒先生コーナーは閉鎖されています。
また2021年3月26日に発売された『フライデー』には、たつき諒先生の予言が掲載されました。
しかしこちらも、同じく別人によるインタビュー内容だと分かって、業界は騒然となりました。
たつき諒先生本人がおかしいと気づいたのは、偽情報がネットで話題になっていることに姪っ子さんが気付いて発覚したそうです。
現在は復刻された『私が見た未来完全版』で、新たな予言を公表なさっています。
2025年7月5日に日本列島を大津波が襲うとのことです。
詳しくはこちらで書いてます↓