東日本大震災の予言を的中させた『私が見た未来』の作者である、たつき諒先生の原点となった漫画作品が収録された『1、怪奇』が発売されました。
本の中身は、単行本未収録作品と絶版作が323ページのボリュームで掲載され、読み応えのある作品になってます。
今回気になっているのが、巻末に収録されている『私が見た未来』の制作秘話についてです。
そこで創作秘話の内容と筆者の感想も交えてご紹介したいと思います!
【1、怪奇】たつき諒先生著書・中身と内容をネタバレ
怪奇には、恐怖漫画13本と空きページの漫画3本の合計収録16本の作品が収録されています。
全323ページ
- 彷徨う霊達の話(’94 スコラ『恐怖体験』)
- 竜樹諒 青春の離歴書
- 霊がいっぱい(’94 スコラ『恐怖体験』)
- 怪奇夜話(’95 ホラーパニック)
- 便所怪談(’95 ホラーパニック)
- 登山道で…(’95 ホラーパニック)
- 白い手(’98 ほんとにあった怖い話)
- 2コマ漫画 ちいいいず/ぶらんこ
- 磁場(’94 スコラ『恐怖体験』)
- 伝えられたメッセージ(’97 ほんとにあった怖い話)
- 落とし穴(’81 月刊プリンセス)
- 怪電波(’93 月刊少女フレンド特別編集)
- 夏の夜の怪奇夜話(’77 別冊ビバプリンセス)
- そしてだれも死ななくなった(’81 プリンセスゴールド)
- 2コマ漫画 らくがきその①汽車/らくがきその②おおかみ
- 誓い(’87 ぶ~け)
- 私が見た未来 創作秘話「夢のキッカケと現実」
- あとがき
そして最後に、『私が見た未来』初版&完全版の創作秘話とあとがきが掲載されています。
あとがきには、完全版で発表された2025年の予知夢に関する新たな絵も公開されているんです。
たつき諒ワールドは実に奥深い!
では、私が見た未来の創作秘話&あとがきの内容と感想について書いて行きます。
【画像】私が見た未来の創作秘話とは?
『私が見た未来』の創作秘話
私が見た未来の創作秘話が巻末に10ページに渡って掲載されてます。
『あとで”予知夢”とわかった夢のキッカケと現実』と題して、最初の7ページに表紙を作成したいきさつが描かれています。
本の表紙の夢のメモを何枚描こうか迷ったたつき諒さんは、ラッキーセブンで7枚に決めました。
夢のメモに自分の見た夢を描こうと、夢を記録してある夢日記を読み直しましたが、個人的な内容ばかりで本に描けるものがありません。
なんとか夢の記録を描きましたが、最後の一コマが埋まりません。
しかし、表紙の原稿の締め切りは明日に迫っています。
深夜2時まで悩みましたが、睡魔に襲われて10分だけ仮眠をとることにしました。
そこで見た夢が”大災害は2011年3月”という文字のビジョンでした。
ハッと目が覚めたたつきさんは、表紙の残りの一コマに書いておくことにしました。
「誰かが興味を持って覚えていて、助かる人がいるかもしれないし、逆にハズレたらそれはもっとラッキーだし!」と思ったそうです。
そして担当者さんが2011年の夢日記を見て驚き、世間に公開するのはやばくないか確認しましたが、たつき諒さんは「書かないと後悔しそう」と話し、本は出版されることに。
時は過ぎー2011年3月ー
この日、たつき諒さんは姪(姉の子ども)の引っ越しの手伝いをするために、母親と団地に訪れていました。
姉は体が弱いので、たつき諒さんが親代理をすることは今までにもありました。
引越しの手伝いをしていると、急に地震が来て建物がグラグラ揺れました。
とっさにたつき諒さんは部屋に閉じ込められないように、ドアを開けるよう叫び、すぐに逃げれるように玄関に姪を呼びました。
テレビは地震特集に切り替わり、初めての大地震に困惑する母親。
その時に一番印象的だったのが、地震の揺れの影響でお風呂に溜めたお湯がもの凄い勢いであふれ出し、姪は「予行演習だ!!」と叫びました。
何か感じるものがあったのでしょうか。
そして地震はおさまり、帰宅する道中は2時間かけて歩き、途中でバスに乗るも満員であちこちで大渋滞が起きていました。
家に着く頃には夜でしたが、停電していたので携帯電話の明かりで足元を照らして帰りました。
本の表紙に、2011年3月の予知夢を書いたことはすっかり忘れていましたが、周囲が徐々に気付き始めました。
たつき諒さんは物思いにふけっていました。
たつきさんは神奈川県に住んでいるので、関東大震災以降に避難訓練を重ねてきたそうです。
日頃の避難訓練と地元民の危機意識が高かったおかげで、1974年に起きた伊豆半島沖地震では即避難できて、死者は出ませんでした。
そこで2011年3月の東日本大震災では、どんな準備をしておけたら正解だったのか考えました。
夢では災害が来る場所までは分かりませんでしたが、もし分かっていたら人的被害はもっと減らすことができたのではないかと考えていたそうです。
そして2020年春放送のやりすぎ都市伝説で、関暁夫さんが『私が見た未来(初版)』の本の表紙を手で隠して、テレビに映したことで再び話題になりました。
雑誌やテレビで「私が見た未来」の予知夢が取り上げられ、ネットではたつき諒さんになりすました人物が予知夢を発信し続け、世間の妄想は膨らんでいきました。
たつき諒さんになりすました人物があらゆるニセの予知夢を流していることを、ある日 姪が発見しました。
自分が予知夢として見ていない内容も発信にされ、姪が「本物はここです」と書き込みしようとしましたが、ネットを通じて傷つけられるといけないので止めておいた経緯が書かれています。
しかし、今となっては「私が見た未来」の初版はもう売っていないし、自分の体験談を持ち込もうか考えてたところ、飛鳥新社から『私が見た未来』の再出版が決まったそうです。
過去のカラー原稿はすべて保存してあったので、『私が見た未来完全版』の表紙では女性の顔の涙とエクボは消して再出版されることになりました。
そして、完全版の最終打ち合わせの前日に、ふたたび予知夢を見たのです。
それが…
大災難は2025年7月
というイメージが見えました。
2021年7月5日の朝に見た夢です。
その夢を飛鳥新社のスタッフさんに話したら、それは興味深く話を聞いてくれました。
初版の頃の担当者さんとは大違いの対応で、もしかしたら今度はみんなが助かるかもしれない。と思ったそうです。
あとがき
たつき諒さんは怖がりなのに、怖い話の漫画が描けるのは、ご自身が体験していないからだそうです。
他人から聞いた話だからこそ、その不思議体験の原因などが客観視できる気がしています。
たつき諒さんは好奇心が旺盛なので、原因を調べたり追及したりします。
そこで原因が分かると納得してスッキリできるそうです。
そんなたつき諒さんなので、分からないことはモヤモヤして気になりますが、夢は調べることもできないので、結果が出るまで考えないように心がけています。
『私が見た未来』(初版)の表紙に描いた『大災害は2011年3月』といった、年月だけが見える夢は初めてだったと語っています。
雑誌は読んだら捨てられますが、単行本は”残る”ので、見たばかりの予知夢を描かずにはいられなかったそうです。
本の出版直前に見た夢が的中したので、今回の2025年7月の大災難の夢も当たってしまうのでしょうか?
たつき諒さんは『信じるな。でも、疑うな。』をモットーにしており、2011年3月の東日本大震災に続き、2025年7月は2度目の最終警告の啓示で、避難を呼びかけられたと思ったそうです。
そして最後のページに『2022年2月5日に見た「夢(Message)』と題して、2匹の龍の絵が公開されています。
真っ白の雄と雌の2匹の龍が海に潜って、巨大なまだらの緑玉の翡翠のような物を捕りに行くような絵が描かれています。
片栗粉のようなうねりが見えて、しぶきが立たなかった光景が印象的でした。
潜った場所は『私が見た未来 完全版』でも描かれた、2025年のボコンと何かが湧き出た場所だったそうです。
不思議で怖い意味のメッセージなのかと思いましたが、たつき諒さんはワクワクするような夢だったので良いメッセージだと信じています。
「龍」と「翡翠」は、夢占い的には「夢が叶う」という意味があります。
なので、たつき諒さんの夢が叶って「心(思いやり)の時代が来る」と願いを込めておられるそうです。