今回はたつき諒先生の著書である『私が見た未来』(初版)に掲載されている、夢で予言した事件や災害についてまとめていきたいと思います。
『私が見た未来』と言えば、表紙に描かれた夢のメモが、実際の出来事と一致していることで話題のコミック本です。
全8話構成で、そのうちの7話はたつき先生の知人が体験した怖い話や不思議な出来事が描かれており、残りの1話にたつき諒先生自身が体験した夢の話が載っています。
そこで今回は『私た見た未来』の予知夢に注目しながら、たつき諒先生の今までの予言と一致した出来事もまとめていこうと思います。
本の表紙の夢日記にも掲載されている、富士山の噴火や津波が来る予知夢についても見ていきましょう。
目次
『私が見た未来(初版)』(たつき諒)の予言内容と中身のネタバレ
本の予知夢が描かれた章では、たつき諒先生が自分自身には霊感はないものの、予知夢というべき後日起きる出来事を夢のなかで見ることがある…という紹介からスタートします。
その夢が漫画のネタに使えるかもしれないと思い、枕元にメモ帳やノートの切れ端を置くようになりました。
そして夢にまつわる不思議な体験をするようになってから、ノートに夢日記をつけるようになったと描かれています。
漫画の中での夢日記の表紙には『1985年~1992年』と書いてありました。
具体的な予知夢かもしれないと紹介されている話は以下です。
近所の公園で女性が亡くなる
1989年8月27日に見た夢です。
トンネルのような場所に水色ワンピースを着た女性が立っており、顔ははっきり見えませんが、何かを言いたそうにしてるという夢を見ました。
その1年後の同じ8月に、気分転換に散歩に出かけたときに、近所の公園が夢の光景とそっくりなことに気が付きました。
慌てて取材用のカメラで撮影して、写真を現像した日にニュースで報道がありました。
なんとその公園で女性が亡くなっているのが発見されたそうです。
その被害者女性は水色のワンピースを着ていたそうで、夢はメッセージだった可能性があります。
フレディ・マーキュリーさんが亡くなる
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フレディ・マーキュリーが亡くなる予知夢は2回見ました。
1度目は、1976年11月にテレビで「QUEENのボーカルのフレディさんが、流行り病で亡くなった」というニュースを、フレディファンの友人と一緒に見ているという夢を見ました。
友人は泣きじゃくっている場面で夢から覚めました。
そして2度目は、1986年11月28日にフレディさんが亡くなり、その人生が映画化される夢を見ています。
QEENは4人グループですが、夢の中に登場した銅像はフレディさんを除く3人と、知らない男の人が1人で合計4人になっていました。
たつき諒さんはフレデイのことは嫌いではないのに、なぜ夢に出て来ないのか不思議に思いました。
1度目の夢から15年後の1991年11日24日に、フレディさんはHIV感染合併症による肺炎のため45歳で亡くなりました。
その後、2018年11月にフレディさんの生前のエピソードを元に作られた、映画『ボヘミアン・ラプソディ』が日本で公開されています。
最初の予知夢を見た月と、亡くなった月が一致していますね。
予知夢には2つのパターンがある
たつき諒さんが見る予知夢には2つのパターンがあります。
直接そのまんまの未来を見るパターンと、”象徴的予知夢”と言う、別の共通するイメージのもので伝えられるパターンがあります。
夢の多くが象徴的予知夢である場合がほとんどです。
叔父の葬儀に行く道中の景色を夢で見た
1993年9月14日に見た夢です。
歩いていたらびわ畑に辿り着き、分かれ道を左へ歩いて行きました。
そこで、びわを採って食べたら割烹着姿のおばさんに怒られるという夢を見ました。
その1年後の同じ9月に、たつき諒さんは15日〆切の原稿を書いている最中でした。
そんな中、山形の叔父さんが亡くなったと連絡が入ったのです。
急いで原稿を仕上げて、兄の運転する車に飛び乗り、どうにか葬儀には間に合う時間に到着しました。
そして叔父宅へ向かう道中で、夢で見たびわ畑が広がる景色に出くわしたのです。
その光景を写真に撮り、夢日記に貼っておいたら、遊びに来た友人が夢を見た日と写真の日付が同じことに気付きました。
人質事件の被害者の顔を見る
1995年10月に目のぱっちりした、かわいい赤ちゃんの夢を見ました。
その2ヶ月後の12月に郵便局に刃物を持った男が押し入り、赤ちゃんを人質にして立てこもって、1000万円を奪った事件がありました。
その人質になった赤ちゃんは、夢で見た赤ちゃんの顔と同じで、新聞を見て「この子だ!」とすぐに分かりました。
友人を振った男性の顔を見る
夢でたつき先生の友人を振った男の顔が出て来たので、似顔絵に描いて友人に見せたところ、自分を振った男にそっくりだったと驚かれたことがありました。
「嫌いじゃないけど、恋愛感情がもてない」というセリフも同じだったそうです。
たつき諒先生は、一度もその男性に会ったことはありません。
フレディさんの話など、的中率が高い出来事の数々に友人は改めて驚いたそうです!
2025年7月に日本を大津波が襲う(?)
1996年か1999年の夏に、たつき諒先生の暮らす神奈川県の某所に大津波が来る夢を見ました。
夢のなかで異常な引き潮を目撃し、ものすごい音とともに巨大な津波が現れて、町は飲み込まれてしまいました。
たつき諒先生が夢のなかで目を覚まし、腕時計を見ると午後5時頃で止まっていました。
街の様子は変わり果て、大きな歩道橋が目に付き、渡ってみたところその先が無くなっていたそうです。
海には大きな船が2艘が停泊しており、うち1艘は津波の影響でボロボロになっているのが見えました。
”津波”といった点からすれば、この夢は東日本大震災だったのではないかと言う人もいますが、東日本大震災では神奈川県には津波が来なかったことと、夢のなかの時刻は5時ですが、東日本大震災は午後2時46分に起きたので時間が違うことで、また別の災害だとされています。
この夢はまだ現実には起きていません。
『私が見た未来完全版』では、夢の中でたつき先生は半袖姿だったことと、津波が東日本大震災より高ったので、2025年7月に起きる大災難の予知夢だと予想されています。
くわしくは『私が見た未来完全版』の記事で解説しています↓
また現在、イルミナティカードにて横浜壊滅予言が話題になっていることから、関連付けて横浜に大津波が襲来するとも言われてます。
詳しくはこちらでも書いています↓
『私が見た未来』表紙の予知夢の内容をネタバレ
ダイアナ妃が亡くなる
このコードがそうした気象的な絵解きとして出ずに人生運として出る場合は、「がんなどの大病による死」か「交通事故死」か「殺人事件の被害者」として専ら現象化しますので、ダイアナ妃の人生は生まれながらにして非常に厳しい運命(コード)設定がなされていたことが分かります。 pic.twitter.com/BVbuT7fa6n
— 伸び猫 (@requioblue) April 4, 2019
『1992年8月31日に見た夢
(DIANAと表紙にある雑誌のイラスト)
ダイアナ?なんだ?』
こちらについては、漫画『私の見た未来』(初版)の表紙にある夢日記の5枚目にも載っていますが、1992年8月31日に”DIANA”の文字と、女の人が赤ちゃんを抱っこする写真の夢を見たそうです。
そして夢を見た5年後の1997年8月31日にダイアナ妃は、パリで交通事故による不慮の死を遂げました。
今回も予知夢を見た日と亡くなった日が一致しており、予知夢は偶然ではないと思えてきますね。
役目が終わる日
救援隊は1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の時に誕生しました。
国内史上初の震度7、死者6000人以上の大災害でした。
私たちが産まれる前の出来事で、県外の人には馴染みがないかもしれないですが、神戸大学生として、過去にこの土地で大災害が起きたのだということを覚えていて欲しいです😌 pic.twitter.com/KihfR4UNRv
— 神戸大学学生震災救援隊@2021新歓 (@Qentai2021) March 27, 2021
こちらの夢は、漫画『私の見た未来』の表紙にある夢日記の3枚目に載っています。
1995年1月2日に、大きなヒビと亀裂の入った赤い大地の夢を見ました。
天上の人に「連れていって」と言ったら、「まだ今はだめよ。5年後ね、5年経ったら迎えに来るわ」という返事がありました。
その夢から15日後の1995年1月17日に、阪神・淡路大震災が発生し、神戸市やその周辺地域は大きな被害を受けました。
そのため阪神・淡路大震災の予知夢だったのではないかと言われましたが、たつき諒先生によると、ご自身の役目が終わる日を暗示していたと捉えているそうです。
役目とは、夢で見た大災害を世間に知らせる役割のことです。
くわしくは『私が見た未来完全版』の記事で解説しています↓
東日本大震災
おはよーございます
先日、緊急事態宣言前に震災遺構の仙台市荒浜地区住宅基礎を見てきました
ここは東日本大震災の津波によって浸食された地形や破壊された住宅の基礎をありのまま保存・整備した所です
最近地震が多いので注意しなきゃね
ではでは
お仕事の人はひと踏ん張り
お休みの人はごゆっくり〜 pic.twitter.com/p6GIxSB7Sx— ひろひげ (@hirohige1234567) March 27, 2021
「大災害は2011年3月」
こちらの夢は、漫画『私の見た未来』の表紙にある夢日記の4枚目に描かれています。
1999年7月のこと、『私が見た未来』(初版)の表紙の原稿の〆切日が明日に迫っていました。
夢日記の7枚中、6枚は描けましたが、残りの1枚に何を描くのかがなかなか決まりません。
夜中に睡魔に襲われて仮眠をとったところ、「大災害は2011年3月」という文字のイメージの夢を見ました。
目が覚めて、万が一のために…と残りの1コマに描いたら、当時の担当者さんに「ヤバくないですか?」と渋い顔をされたそうです。
どうにかOKをもらいましたが、その後にたつき諒先生は夢を見たことをすっかり忘れていました。
多くの犠牲者を出した震災が予知夢として描かれたいたことには驚きが隠せませんね。
富士山の噴火=世界恐慌、パンデミックが起こる
富士山噴火 被害予測を改定
初めて富士山ハザードマップができた時は、私は富士通信部にいました。
調査などもついていきましたが、若造すぎて、学者のみなさんのお話が、ちんぷんかんぷんだった記憶があります。#富士山 #噴火 #溶岩
記事→https://t.co/CkdMYkyR4j pic.twitter.com/9n1v6GVw4s— 金森 大輔/災害・減災報道担当🌋 (@kanayan19861121) March 26, 2021
『1991年8月20日に見た夢
絵ハガキみたいなきれいな富士山
すごい急いで雲がぐるぐる廻りながら吹きだした
(メモ下段)
雲がぶあ〜っと吹き出してきたと思ったら
富士山が噴火した
ものすごい音
(ドーン という噴火の絵)』
こちらは、漫画『私の見た未来』の表紙にある夢日記の1枚目に載っていて、この夢はまだ現実には起きていません。
1991年8月20日に富士山が噴火した瞬間を遠くから眺めている夢を見て、表紙の1枚目にも細かく描かれています。
この夢では遠い映像だったので、被害状況などは見えていない とのことでした。
『私が見た未来完全版』によると、富士山噴火を夢診断で調べると「噴火=世界恐慌やパンデミックなどでパニックになる。」という暗示があるそうです。
これは象徴的予知夢の一つで、大規模災害の暗示ではないとの見解を示されています。
完全版の夢日記のイラストを見ていたところ、驚きの発見があったのですが、富士山大噴火のイラストの横に『世界的に大きな戦乱の起きる兆し』とメモ書きされていました。
これってもしかして、ロシア対ウクライナの戦争を意味していたんでしょうか?
もしそうだとしたら、現実化した予知夢の一つと言えるかもしれません。
以上、たつき諒先生の予知夢についてご紹介しました。
まだ起きていないとされる津波の災害については、これからしっかり対策しておきたいですね。
『私が見た未来』(初版)の収録話
『私が見た未来』(初版)の収録話は全8話で、私が見た未来以外の7作品は恐怖漫画になってます。
- ☆磁場 (’94 スコラ社『恐怖体験』Vol,3掲載)
- ☆伝えられたメッセージ (’97『ほんとにあった怖い話』3月号掲載)
- ☆霊がいっぱい (’94 スコラ社 『恐怖体験』Vol,7掲載)
- ☆彷徨う霊達の話 (’94 スコラ社『恐怖体験』Vol,4掲載)
- 夢の跡 (’97 『ほんとにあった怖い話』7月号掲載)
- ☆白い手 (’98『ほんとにあった怖い話』11月号掲載)
- 私が見た未来 (’96 『ほんとにあった怖い話』9月号掲載)
- △縁の先 (’97 『ほんとにあった怖い話』11月号掲載)
△印が付いている作品は、『私が見た未来完全版』に収録されています。
↑こちらの恐怖漫画はちょっと怖かったです…。
怖い番組を観ても、その夜に一人でパソコン作業するのは平気な筆者ですが、この漫画を読んだ日は妙に頭に焼き付いてしまって、子どもと一緒に速やかに寝ました。汗
Amazonの口コミでも「怖い」と書いてる人がいたので、お好きな方は読んでみて下さい!